ひとでなしの恋
2
父が母を溺愛していた事はよく知っている。
それは母も同じで、愛されているという自信を持っていた。
しかしそれは今になってわかる事で、それを知らなかった幼い頃はよく、お母ちゃんはお父ちゃんの正妻なん、それとも妾なん、と正妻と妾の意味も知らずに聞いた。
母はそのたびに笑った。
「正妻も妾もあらへん。ただの妻や」
そう言って笑った。
征一はもてる男だった。
財力、地位、容姿、頭脳はそろっていた。気前もよく、漢気もあり、誰からも好かれていた。
しかし、それは凛によって二位の座になった。
名は体を現すという言葉のとおり、小さな体でありながら凛と背を伸ばして楚々とした仕草で征一に付き従う凛を見るたび、周りは騒いだ。
男は、あんな伴侶を傍におきたいと思った。
女は、あんな姐になりたいと羨望した。
だから、誰もが征一の言葉に異議を唱えなかった。
征一の父以外は。
「凛を俺の細君にする。妾はもたん、凛だけで十分や」
そう言った時、その場に居た誰もが諸手を上げて賛同した。
しかし、征一の父だけは首を横に振った。
そして、
「細君になる気概があるんやったら、それ相応のもんを見しや」
正座をし、静かな眼差しで事を見ていた凛に言い放った。
凛はただ静かな声量で、
「はい」
小さく言った。
それから一月して、気付けば八ヶ月目の腹を抱えて、凛は当時の組長であった征一の父、義征のもとへ出向いた。
「気概を見しや」
高らかに言い放つ義征の前に背を向けて立つと、凛は義柾直属の組員総勢150人の衆目を気にもしていない様子で肩にかけていたショールを落とし、紅の帯を解いた。恥もなく帯、黒地に朱華が散る単を脱ぐと、紅の襦袢一枚になった。
「ストリップでも始めるんか」
茶化した義征を肩越しに振り返って一瞥すると、凛は視線を外さないまま最後の帯を解き、一瞬の躊躇もなく襦袢を畳に落とした。
パサ、という乾いた衣擦れの音を最後に、義征の言葉に笑いを立てていた組員の声がやむ。
そして、義征も軽薄な笑みを鋭いものにして、凛の白い背に視線を突きたてた。
傷ひとつなかったはずの白い背には、腹に光り輝く玉を抱えながら火を吹く紅龍が猛々しく描かれていた。牙の生えた口から吐き出される赤々とした炎は背中だけでは飽きたらず、両の二の腕にまで描かれており、その美しさたるや、最高質の芸術品そのものだ。
背に描かれた壮麗な刺青を義征に確かめさせると、炎が巻きついた腕で腹を抱えながらゆっくりと体を回らせて、凛は150名すべてに背中のものを見せた。
鮮烈で、壮麗、かつ勇猛果敢なその様子に、誰もが口を利けない。
しんと静まった中、凛の声が響いた。
「玉はこの腹の子たちや若や組員、龍は俺。己の炎に焼かれようとも死のうとも、若と子と組員は守ります」
澄み渡った清涼な声に、150人はああ、と息を漏らした。
「姐さん…」
「組長、凛さんを…」
「姐御…」
漏れる声は全て賞賛のもので、しかし凛はその声を耳にしていながら表情を動かす事は一切せず、ただ静かに義征を見据えていた。
「…ははっ、俺の息子はとんだ買い物上手やなァ…ええで、凛。お前は今日から征一の姐や。俺が認めたんや、気張って、腹の孫と征一を守りや」
「ありがとうございます」
実に楽しげに笑った義征を見ながら凛は襦袢を羽織ると、座れと促された座椅子に座り、義父となる男を見上げて笑んだ。
その笑みを見ながら、義征は、高槻は戦いの女神を血筋に入れたんやと心中思った。
義征の笑みの深みに隠された畏怖のような感情を知ってか知らずか、凛はただ笑んだまま、歓喜に騒ぐ組員たちを見つめていた。
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姐御誕生。
実はこれが書きたくて書いた話なんです、『ひとでなしの恋』は。
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