killing you softly 03
旧部室の一室に押し込められた茅原はきょろきょろと室内を見渡したあと、戸惑いもあらわに背後の利永を振り返った。
「なんで、ここ…志方、部活やってんの…?」
「ここだけ鍵がぶっ壊れてるから使ってる。茅原、告げ口すんなよ」
「しないけど…っ、う…」
一歩踏み出した茅原は、しかしすぐに小さく呻いてしゃがんだ。ずるずるとどこか苦しげに床にへたり込み、震える背を丸めて、切れ切れの呻き声をあげる。
「おい、マジで体調悪いなら無理すんなよ、保健室行けって」
「だい、じょ…ぶ」
頑ななほどに智也は首を振り、しばらくじっと丸まったあと、ようやく顔を上げて姿勢を正した。やはり、顔色は悪い。
なにか持病でも持っているのだろうかと考えながら向かいにしゃがみ込み、この闖入者をどうするべきかと利永が考えていると、苦痛にあがっていた呼吸をどうにか正常なリズムに整えた茅原が小さな声を落とした。
「悪い、志方…あの」
「なんだよ」
「誰にも言わないから…この時間だけ、ここにいていいか?」
「六時間目は?」
「出る」
だから、と小さく繰り返して茅原はまた苦しげな呼吸を吐いた。
ひとりを満喫していた利永にとってはとんだ闖入者ではあるが、茅原の体調が悪いのは明らかだ。他言はしないのならば、まあ一時間くらいはいいだろうと、マットレスの上に腰を下ろして読みかけの本を取る。
「きついんなら、帰れよ」
「うん…、ありがとう」
頷いた頭の天辺から髪の先まで綺麗に染まった金髪の派手さとは裏腹に、ひどく大人しげにこくんと顎を引いて礼まで口にした茅原は、ごめんと小さく呟いてからマットレスの端に寝転んだ。
くしゅんと小さなくしゃみが響いたのは、二十ページほどページが進んでからのことだった。読書に没頭していた利永は、茅原がいつ眠ったかは気付かなかった。それほど静かに寝入っている同級生は、寒いのか細い身体を丸めている。ブレザーを着込み、コートを上掛けにしていた利永は寒さをあまり感じなかったが、茅原はワイシャツ姿だった。
外に出てくるんならブレザーくらい着て来いよと口から文句は零れるが、向けられた背が時折震えると、それすらも引っ込んでしまう。
「…面倒臭えな」
再度くしゃみがコンクリートの壁に響くのを聞きながらコートを投げて無造作に茅原にかける。やがてもぞもぞと動いた茅原は、完全に身体を丸く縮め、コートで全てを覆い隠した。
聞こえなくなったくしゃみに、ふと息を吐いて、読書に意識を向ける。
やがて少し離れた場所に建つ校舎から授業終了の鐘の音が届き、間を置いて授業開始の音も響いたが、利永は微動だにせず読書を続け、コートに包まったままの茅原も、眉根に皺など寄せることなく眠っていた。
結局読書を終えた利永と、帰る支度を始めた音で起きた茅原が旧部室を出たのは四時過ぎだった。
ひどく慌てた様子で跳ね起きた茅原はバイトに遅れると慌てふためいていたが、コートの礼を口にし、それから小さく頭をさげた。
「ありがとう、志方。すごく助かった」
「別に…なにもしてない」
「それで、その」
「なんだよ」
ええと、と言いよどんだ茅原は、そのままもごもごとなにか呟いた後、首をうな垂れさせた。
「やっぱり、いい。…じゃあ、また明日」
なにをひとりで自己完結させたのか、畳んだコートを利永に返すと、智也は足早に去っていった。
細い背が校舎に向かって消えていったのを見届けたあと、コートを羽織って利永は帰途についた。通学に使っている電車に揺られながら、ぼんやりと窓の外を眺める。すると、不意にやわらかい香りが鼻先を掠めた。
「…?」
鼻につくわけでなく、仄かに香る匂いは、近くから漂う。傍をOLでも通っただろうかと首をめぐらせると、自分のコートの襟の辺りから、探していた匂いが香った。
「…俺の?」
頓着していないわけではないが、利永は香水やフレグランスの類はつけていない。なにかの移り香かと思いを巡らせ、やがてそれに行き当たった利永は、そういえばあいつはなにを言いよどんでいたんだろうと思い返す。
甘いわけでも爽やか過ぎるでもないやわらかな香りは、茅原の前にしゃがみ込んだ時にふっと鼻先を掠めた匂いと同じだった。
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