killing you softly 02





 

 
 志方利永が茅原智也という人間を再度認識したのは、彼が上級生に連れて行かれた日から、ちょうど一週間後のことだった。
 朝から冷えた日で、ブレザーの上からコートを羽織るのはもちろん、手袋をつけてきた生徒も目立つような日だった。
 昼休みあとの授業に出るのが億劫になった利永は、読みかけの本を片手に、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下からはずれて、部活棟の方向へ脚を進めていた。
 利永は帰宅部で、部活に所属してはいない。けれど部活棟にはいくつか空き部屋がある。そのうち、校庭の端にある旧部活棟は、どの部屋も鍵が閉まっていたが、そのうちのひとつが壊れていること、それが軽く引っ張っただけで取れてしまうようなものだということを知っているのは、校内でもおそらく利永だけなのだろう。周囲を鬱蒼とした茂みに覆われていることもあり、薄暗く物静かなそこは一見した限りではひどい環境だと言われかねない場所だが、実際は電気も通っているため、電気をつければ特に暗くもない。いいさぼり場所になっているそこに滑り込み、教室からの道すがらに購買部で購入したホットコーヒーのプルタブを開け、さてと一息ついた利永は、体育倉庫から勝手に持ち出したマットレスの上に寝転んで本を広げた。今日は朝から特に冷えていたため、登校途中に購入したほっかいろを無造作に腹の上に放る。
 しかし、数分もせずにそれを脇に置いた利永は、むくりと起き上がった。
 外が騒がしい。大声でがなり立てているわけではないが、複数名の気配と、押し殺したような声の応酬が聞こえる。その中から、聞き覚えのある声と言葉が埃に曇った窓を震わせた。
「やめろっつってんだろ。馬鹿じゃねえの」
「お前、ほんとに口減らないな。やめろって言われて止める奴は最初から手ェ出したりしねんだよ」
「…なんだってんだよ、俺なんもしてないだろ」
 面倒臭そうな声は、茅原智也の声に間違いない。声変わりは終わっているのだろうが、高いような低いような、不思議な響きの声だ。
「生意気なんだっつー話だよ。頭キンキンに染めやがって」
「いいだろ、別に。俺が金髪だろうと茶髪だろうと…、あんたに関係ない」
 潜めるつもりは最早ないのか、言い争う声は次第に大きくなり、薄いとはいえコンクリート製の壁を通して聞こえてくる。暇を持て余したゆえの野次馬根性を持ち合わせているような人間ならば窓をそろりと開けて覗いたりなどするのだろうが、あいにくと利永にはそう言った好奇心がない。早めに終わらせて静かにしてくれとすら思いもしない。なんだ喧嘩か、程度のものだ。
 やがて、喧騒と人が倒れたり、壁にぶつかったりする音が響きはじめた。
「っざけんなよ…っ」
「こいつ、やりやがった!」
「がっ」
「いってえ!」
 予想外だが、茅原は健闘しているようだ。痛みに呻く声のなかに彼の声は聞こえない。
 細く見えたが意外に骨はしっかりしているんだな、と見当違いのことを考えながら利永が読書を中断して喧嘩の行方を音声だけで予想していると、やがてもせずに決着はついたようだった。
「くっそ、引くぞ!」
「マジいてえ…こいつ、馬鹿力過ぎ…」
 どうやら、茅原は喧嘩に勝利したようだった。
「馬鹿はもうやめて、俺に関わるな。面倒なんだよ」
 乱闘の最中も痛みに声を漏らしたり無意味な掛け声をあげたりしなかった茅原の声がようやくコンクリートを反響させて響いた。呼吸は多少弾みはしているものの、口調はしっかりと強い。
 茅原の牽制には、特に反論はなかった。代わりにばたばたと足音が遠ざかって行った。
 あたりには、静寂が戻る。
 さして邪魔とは思わなかったが、喧騒がなくなったのならば読書に戻ろうと伏せていた本をあげると、ずるずるとコンクリートの壁を擦る音がくぐもって反響した。
 あまりに静かだったので、智也も去ったものと思っていたが、まだ居たらしい。
 さすがに複数対一はきついんだなと他人事そのものといった感想を抱いて、誌面に並ぶ文字を辿ろうとすると、どた、と明らかに人間が地面に倒れた音がした。うう、とくぐもった呻き声までする。
「おいおい、マジですか…」
 面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだが、どうやら弱りに弱っている人間を放っておくことが出来るほど、冷血漢で居るつもりもない利永だ。やばそうなら誰か呼んで任せちまうかと様子を見に行くと、案の定、最近ようやく名前を覚えたばかりの金髪頭が転がっていた。
「…おい、茅原」
 頭の近くにしゃがみ込むと、丸まっている体がもそりと動き、きらきらしい金色をした前髪の隙間から茶色い目が利永を見上げた。
「しか…た…?」
 小さな声は苦しげで、よく見ると細い眉が寄っている。ぎゅっと丸まっている体の様子からしても、体調を崩しているか、もしくは今しがたの喧嘩で負傷したのは明らかだ。
「体調悪いのか」
「……少し」
 眉根をぎゅっとしかめながら茅原がゆっくりと起き上がり、壁に背を預けた。俯きがちな顔は青白く、時折くっと唇を噛む。
「保健室行くか、俺連れてってやろうか」
「いい…ありがとう」
 ぽつぽつと呟く唇さえ色が悪く、寒いのか震えてさえいる。
 利永としては今までに特に接点もなく、どういった人間かもわからない茅原だが、少なくとも体調が悪いのだということくらいはわかる。
 本人がいいと言うなら校舎にある保健室まで連れて行く気はないが、放置していくのもどことなく後味が悪い。
「茅原」
「なに…?」
「とりあえず、こっち来い。寒いんだろ」
「こっち?」
「誰にも言うなよ、面倒だから」
 不思議そうな顔をしている茅原の腕を掴んで立たせ、部室に引きずり込む。まさか鍵が開いているなど考えもしなかったのか、鋭いものとしか思わなかった双眸を丸く見開いて、茅原はよたよたと部室の床を踏んだ。








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