かごしとね 7






 
「…さん、お客さん…」
「ん…?」
 いつのまにかぐっすりと寝込んでいた柚は、夜半、肩を揺さぶられて薄く目を開いた。
 暗闇にぼんやりと浮かぶ灯りと、宿の女将の顔。何事かとゆっくりと体を起こすと、女将は明らかに動揺した様子でお客さん、と繰り返した。
「役人が来てるんだけど、確かお客さん、珪から来たって言ってたね」
「そうだけど…」
「珪から来た柚って客を探してるらしいんだ。お客さん、確か」
「柚は俺だけど…探してるって…」
 なんで、と呟きそうになった柚だったが、はっと目が覚めると慌てて寝台から飛び降り、沓を引っ掛けて宿の玄関に向かった。
 身嗜みも整えずに走った玄関には、昼間に柚を追い返した門番と、一人の役人らしい男、それに五人ほどの女官が狭い玄関を占めていた。
「ああ、あの方だ」
 走ってきた柚を見るなり門番は指を指して女官に教え、女官はそれを請けるなりすすすと柚に近寄り、周りを取り囲んだ。
「なっ、なんだよ…っ」
 昼間に門番につっかかりはしたが、突然捕らえられるようなことは何もしていない。ただ、王様に珪から柚が来たと伝えてくれと言っただけだ。
 慌てふためいて門番を見上げた柚だったが、その門番の隣に立っていた役人らしき男の顔を見た瞬間、大きく目を見開いた。
 下級仕官と思しき衣装を身にまとったその男は、しかしその衣装に合わない笑みを浮かべた斉国国王、斉利勝そのひとだった。
「り、りか…んぐ」
 なんであんたが、と叫ぼうとした柚だったが、横から伸びてきた細い手が声を発しようとした唇をぱたりと塞いでしまい、それ以上は喋れなくなる。
 女官にもみくちゃにされながら宿屋から連れ去られるように輿に乗せられた柚を、女将と宿の主人だけが呆然と見ていた。





 押し込まれるように輿に乗らされた柚は、なにがなんだかわからないまま、気付けば今度は引き摺り下ろされるように輿から降り、輿に乗ったときと同じように女官に取り囲まれたまま、何故か湯殿に放り込まれ、体を隅から隅まで磨き上げられた。
 両性は物珍しいからじろじろと見られるのではと柚は必死で体を腕で隠そうとしたのだが、性別など構ってもいないように女官たちは全てを洗い流すと、脚の間まで無理矢理洗われてすっかり赤面してしまった柚を湯殿からあげ、まるでなにも出来ない子どもの世話をするようにやわらかな布で水気をとった。
「俺ひとりで出来るからっ」
「なりません、利勝様からの御達しでございます」
 衣服をつけることすら自分でやるのは許されず、嫌がる柚を押さえつけて女官たちは珪のものとは趣の違う服を着せた。男物を着せられていると思っていたのだが、着せられてみれば女物の着物で、柚はきゅっと腰布を強く絞られて、潰れた蛙のような声を上げながら脱衣所を出た。
 活気のある翔珪の王宮とは違い、夜半のせいか、それとも元々こういう静けさなのか、しんと静まり返った中を女官たちに挟まれながら廊下を歩まされた柚は、やがて見えてきた豪奢な扉の前で止まった。
「利勝様、珪よりの御客人がお見えになりました」
 女官の一人が声を上げると、しばらくしてああ、と応の声がした。
 そ、と腰の辺りを押されて柚が一歩進むと、傍にいた女官が小さく耳打ちをしながら扉を開けた。
「粗相の無いように…」
 その声に押されて柚が部屋に脚を踏み入れると、幾重にも布がかけられた奥から、声がかかった。
「おいで」
「………」
 そっと脚を持ち上げ、天井からさがる布を手のひらでわけながら進んだ柚は、やがて披けた場所に置かれた豪奢な長椅子に寝そべる影を見つけて、溜息をついた。
「やあ、久しぶり。弑逆王の迦陵頻伽」
「なにが久しぶりだ、役人のふりしやがって…」
「いいじゃないか、本当に君かどうかを確かめたかったんだ。それにしても、随分磨かれたね。綺麗だよ」
「俺が綺麗でも綺麗じゃなくても、どうでもいい。それより」
「まあ、立ち話もなんだ、こちらへおいで。座るといい」
 ひらひらと手を舞わせて利勝は柚を呼び、自らは起き上がって座椅子の隅に寄った。空いたスペースに座れということなのだろう。
 正直な話、あまり利勝は好きではない。嫌いでもないのだが、苦手なのだ。
 しかし今はそんなことも言ってはいられない。
 空いたスペースに腰をおろした柚を、利勝は楽しげに見やった。
「それで…何用だね?」
「絹を元の値に戻してくれ」
「何故?」
 話を聞いているというよりは、柚の表情を楽しんでいるように利勝は笑いながら首を傾げた。
 からかわれているようで柚は思わず怒鳴ってやろうかともしたが、今は抑えなければならない。仮にも利勝は他国の王で、柚は他国の一般人だ。謁見の手続きも取らず、あまつさえ王の私室での会話など特別優遇にも程がある。ここは堪えてと自分に言い聞かせながら、柚は再度口を開いた。
「酷い不平等が生じている、その不平等のせいで、宮中では不穏な動きが活発化してきている。それを停めたいんだ」
「不平等ね…」
「このままじゃ謀反が起こる、珪が…昂稀が反されてしまう…!」
「それで?」
 まるで、なんの他愛も無い世間話の相槌のように利勝は笑みを浮かべた顔を傾がせた。
「それで…って…、だから、値を下げて欲しい…」
 思わず口篭ってしまいながらも、柚は何とか利勝を見ながら要望を告げた。
 このままでは珪が反されてしまう、昂稀が反されてしまうからと。
 しかし、利勝の笑みは変わらなかった。
「君は全く我侭だね。下げろと言ったり戻せと言ったり…簡単な事のように言うがね、国政に関わるものなんだよ。そうほいほいと変えられると思ってるのかい? しかも他国の政務干渉をしているような言いがかりまでつけて…こちらが絹糸を安くしたからといって、そちらの国で謀反が起きようと離反が起ころうと、斉には関係が無い。むしろ、その方が好都合だ」
「なっ…好都合って…」
「南東の珪国、南の嵐国…東に大国は無いが、ひとつの国でも潰れてくれれば助かるんだよ、斉としては。特に珪は大陸でも一二を争う大国だ。内側から崩れてくれれば、これほど嬉しい事はないからね」
 まくし立てられて、柚は思わず口篭った。
 正論だ。
 己の身勝手で、価格が変えられるほど簡単なら、国政など一人の限られた人物だけが決定を下さなくとも行える。
 なにか言い返してやりたいが、言われている事が正論であるだけに、返す言葉がない。
 黙りこくってしまった柚に、利勝はくつくつと喉を鳴らして笑った。
「…おやおや、黙ってしまったね。少し苛めすぎたようだ…」
 括るどころかまとめてすらいない髪をうっとうしげに掻き揚げながら笑った利勝は、下唇を噛んで、それでもなにか言おうと視線をあげた柚の顔に手を伸ばした。
「取り引きをしようじゃないか」
「取り引き…」
「君も私も、互いに得るものがある取り引きだ。これなら平等だろう?」
 頬に触れた手のひらは、着飾られて装飾のかかった首を過ぎ、うっすらとした膨らみしかない胸をなぞった。
 言葉に含まれるのは褥をともにという意味であるのは、柚にも理解できた。
「どうだい、獅子王の迦陵頻伽」
 これは取り引きだと、柚は心中で呟いた。
 たかだが元旅芸人でしかなかった一般人に、王に張り合えるほどのものは何もない。
 それを体一つで赦してもらえるのだから、感謝するべきだ。
 後で売女と、娼婦と罵られようが構わない。
 たった一晩。
 一晩我慢すれば、珪は安泰になる。昂稀は反されない。
 あの寂しい王が、少しは安らかに眠れるようになる。
 強引で一方的だったとはいえ、既に昂稀に抱かれた体でよかったと柚は思った。
 目を閉じて、今は遠い場所にいる王のことを考えればいい。
 柚の膝でしか眠りを貪れない王のことを想えばいい。
 すいと離れた手のひらが上を向き、誘いをかけてくる。
 その手のひらに指先をのせ、柚はそっと立ち上がった。
 澱でも溜まったかのように、下腹がずんと重くなったように感じられたが、それを無視して柚は脱がされるがまま襦袢のみの姿になり、倒されるがまま寝台に寝そべった。
 壊れた玩具でしかないようなほど自我を失っていた柚を、それでも離そうとしなかった昂稀しか触れたことのない肌に、知らぬ男の手が触れた。
「おや…もうあの獅子王のお手つきだったのだね。淫らな痕をつけて…」
「………」
 揶揄の言葉に返すほど、余裕があるわけではない。
 ただひとりの名を音にせず、口の動きだけで呼んで、そっと、柚は瞼を降ろした。






 早駆けの馬は、前の世代の早いもの同士を掛け合わせて作る、いわば良質な血を確実に受け継ぐように産み落とされ、育てられた馬だ。
 宮中で一位を誇る馬の名は、風遥という名を付けられた、早駆けの馬だ。栗色の毛が美しい馬で、
先の戦に昂稀が出向いた際も、この馬に乗って戦場を駆け抜けたものだった。
 いわば戦友ですらある馬に鞭をくれながら、昂稀は護衛の三人とともに翔珪の都に入った。
 昂稀としては和秦を護衛につけたかったのだが、昂稀に徒なす者たちの多い宮中を空けておくわけにもいかない。代わりに和秦付きの三人を借りてきた。
 公式な訪問ではないため多少手間取ったが、半ば無理矢理都入りをした昂稀は、王宮の門番前で馬から降りるなり、門番たちの前に立ちふさがった。
「何者だ、名乗れ」
 正式な訪問であれば多数の護衛や官たちを引きつれ、先だっての訪問の報せをしているので通されるが、今は昂稀と三名の護衛のみ。訪問の報せなどもちろんしていない。
 真夜中に突然訪れた四名の不審な男に門番が怒声を投げつけると、昂稀はおもむろに腰に差した懐剣を突きつけた。
「こういうものだ。夜半すまないが、通してもらう」
「………なっ」
 突きつけられた懐剣を怪しげに見ていた門番が、柄に施された珪国国王の御璽に気付いたと同時に昂稀はするりと横をすり抜けて走り出した。
「まっ…お待ちください、これはっ…」
 紛れもない本物を手に、門番はあたふたとしている。それを振り返ることなく昂稀は静かな王宮へ脚を踏み入れた。
 右も左もわからない、当たり前に珪の王宮とは作りの違う宮だ。迷わないわけがない。
 入ったはいいが、早速行き先に迷った昂稀は、仕方がないと目測もせずに走り出した。自室のことを考えれば、一番奥にあり、そして一番扉の大きな部屋を捜せば、王の私室、もしくは政務室にたどり着くはずだ。
 しかし、それは甘かった。
「きゃあ、誰か!」
「逆賊か、憲兵、憲兵ー!」
「女官は外へ!」
「いやぁー!」
 夜半に男四人が建物内を駆け巡って騒ぎにならないはずがない。あっという間に悲鳴は大挙のように宮中を満たし、憲兵やら武官やら女官やらが部屋という部屋から飛び出して、大騒ぎになった。
「くそっ」
「昂稀様、駄目です、このままではっ」
「仕方ない、一旦バラけるぞ。各々隠れろ、いいか、見つかっても抵抗するな。斉王は昏王だが、馬鹿じゃない。取り引きには応じる男だ。必ず珪に帰るんだ、抵抗して命を落とすな。いいな」
「御意に」
 主からの命令に、三人の下官は頷き、廊下を曲がってそれぞれ姿を消した。
 三人がそれぞれ無事に隠れた事を祈りながら、昂稀は走り続けた。
 護衛である三人には隠れろと言ったが、昂稀まで隠れてしまうわけにはいかない。
 少しでも騒ぎを大きくした方が、あの昏王は出てくる。
 取りあえず奥へと走り続ければ、満遍なく宮中が騒ぎになる。
 それを狙って廊下を駆け抜けた昂稀は、やがて突き当たりで立ち止まった。
 扉は大きく豪奢だが、周りにはなにもない。
 取りあえずは縦に走ってきたので広い範囲で恐慌は起きているはずだ。
 いい加減隠れようと扉を開けて中に忍び込んだ昂稀は、部屋中にかかった布に眉をしかめた。
 かなりの大きさの布が、天井から幾重も重なっている。
 布を染め抜いて、それを干す場かとも思ったが、それは珪国の得意とする技術であり、斉ではあまり見られないものだ。斉は主に養蚕、製糸を得意としており、それを買い受けて機を織り、染色するのが珪だった。
 ふわふわと邪魔くさくかかってくる布を切り裂いてしまいたいのをこらえながら、しかしここなら見つかりそうにもないと部屋の隅に座り込んだ昂稀は、ふと聞こえてきた声に、腰に差していた長刀を構えた。
 布のおくから聞こえてくるのは、男の声だった。
「…大丈夫かい。少し我慢しておいで、今女官を…いや、伊鈴を呼んでこよう」
 そこにいるのは男だけではないのか、気遣うような声をかけているのが聞こえる。
 いざとなったら脅してでも黙らせなければ、と長刀の柄に手をかけていた手を横に滑らせて短刀を握り締めた昂稀は、布を掻き分けてやってきた人影が目の前に現れるなり、床を蹴って相手の後ろにすばやく回りこんだ。
「なにも言うな、黙っていてくれれば危害は与えない」
 相手の喉首に短剣の背をあてて昂稀が囁くと、捉えられた一瞬は驚いたらしい相手は、予想外の言葉を漏らした。
「おやおや…誰かと思えば、珪の獅子か」
「…斉利勝…っ」
 昂稀の腕に捕らえられていながら、全く焦りもしていない男は、昂稀が捜していた斉利勝そのひとだった。
 思わず短く叫んだ昂稀に利勝は目を細めて笑うと、首に宛てられた短刀の背を指先で叩いた。
「退けてくれないかね」
「あ…ああ」
 言われてようやく昂稀が腕を離し、短刀を鞘に戻すと、利勝はまったく乱暴だね、と言いながら喉を摩った。
「それで…こんな夜半に、珪の獅子が何用かな?」
「柚を返してくれ。此処に来ているだろう」
「ああ、あの迦陵頻伽か…それなら、寝台にいるよ」
「…寝台?」
 奥の寝台、と指を指した利勝に、昂稀は眉をしかめた。
 なぜ寝台に柚がいなければならない。
 睨むように視線を投げた昂稀に肩を竦めて利勝は笑った。
「獅子は猛攻を得意とするというが…その勇猛さには、周りの花や鳥への思慮が欠けている面も含まれているのだろうね。可哀想に、肌を許していながら、あの小鳥はまだ君を想っていたよ」
「どういう意味だ」
「そのままの意味だよ。やわらかい肌だった。役得だと思って許したまえよ」
 くっと笑って、利勝は女官を呼びにいくと扉を開けて出て行った。
 残されたのは、昂稀と、布の奥にいるという柚のみ。
 ごくりと唾を飲み込み、手のひらで布を払いながら進んだ昂稀は、やがて見えた寝台に寝そべった体を見て、驚愕と怒りに奥歯を噛み締めた。
 広く白い寝台に寝そべった華奢な体の周りに、深紅の花弁がいくつも散っていた。








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