かごしとね 1
「今日から俺が、お前の主だ」
そう言われて柚が顔をあげると、そこには雄々しい容貌をした男がいた。
王侯のみが着用を許される黒と金の民族衣装をまとった若き王は、逞しい体を僅かに前かがみにして立ち上がると、悠然としたその長身から成る長い脚を繰り出して柚の前に歩み寄った。
「そして、お前は今日から俺のものだ」
長身をかがめると、王は剣技を極めた末に出来た無骨な指先で柚の顎をなぞり、そのまま指を下へ下ろした。
顎から辿って、首、鎖骨、胸、腹、腿、足首。
辿った指は足首へ到達すると、そのまま無遠慮に足首を掴み、上に持ち上げた。
「ほう、両性か。いいな、いい買物をした」
「……いぁっ」
突然脚の間を晒された羞恥と、体をひっくり返されたせいで床に強くぶつけた肩が痛み、柚が小さく悲鳴を上げると、王はにやりと笑った。
「声もいいな。…俺は本当にいい買物をした」
父であった前王を弑逆し、力にものを言わせて玉座を乗っ取った獅子王昂稀は、力なく下がった少年の証と、しとやかに口を閉じている未熟な少女の花を指先でなで上げると、くつくつと喉を低く鳴らして哂った。
お前はもう、何処へも逃げられないのだというように。
柚が生まれたのは、各地を転々としながら小劇をしている劇団の荷馬車だった。
父は劇団の団長で、母は父が公演を行った小さな村で見初めた女だった。
幼い頃から移動を繰り返す柚は限られた人間関係の中で生きながら、それでも幸せだった。柚が両性であることは劇団の誰もが知っていたが、それを口外する事はなかったため、好奇の目で見られることはなく、柚は厳しい父と、穏やかな母、兄姉のように世話を見てくれる優しい団員に見守られて育った。
しかし、それは永く、永久に続くものではなかった。
柚が生まれてから15年目の年、訪れた村は廃墟だった。
最近まで人が住んでいたはずなのに、瓦礫の山と化した村には村人がいなかった。
代わりに、元は村人だったはずの肉塊をさも邪魔そうに火で燃やしながら、村人からせしめた数少ない金貨を数えている盗賊がいた。
父は剣で背中から胸までを貫通するほど強く刺され、母は矢で胸と腹を射抜かれた。柚を庇った団員たちは木槌で頭を割られたり、短剣で滅多刺しになった。
そうして気付けば柚の周りは、先ほどまで笑って冗談を言っていた人たちの体を巡っていた赤い液体に満ちていた。
血まみれになり、呆然と座り込んだ柚を縛って、盗賊は売りに出した。
見目がよく、珍しい両性であるから高く売れると踏んだのだ。
盗賊たちの予想通り、柚は高く売れた。
獅子王と名高い、珪国十二代王昂稀に、銀塊二つで。
ここがお前の部屋だと告げられたのは、王の書斎の隅にある、大きな鳥籠だった。
金で彩られた鳥籠には、柚がぎりぎり眠れるほどの小さな寝台だけがあった。
そこにいれられた柚の前に立ち、昂稀は嬉しげに笑った。
「前から、いい声で鳴く歌姫か、天女をも凌ぐ舞姫が欲しかったんだ。お前は両方が叶っている」
特別に作らせたのだと、金の籠を撫でながら昂稀は柚を見つめた。
昏い輝きをした黒い双眸が、柚を移して剣呑に光る。
快活な王のように見えて、瞳のそこだけは飲み込まれそうに昏い昂稀の瞳に映るのが怖くて、柚は着せられた白い衣装の裾を掴んで俯いた。
「俺は歌えないし踊れない」
「じゃあそこに座ってろ。お前は見目も声もいいからな、いるだけで舞の如し、喋っているだけで迦陵頻伽の囀りだ」
昂稀は褒めているつもりらしいが、柚は全く嬉しくなかった。
本当は、歌も踊りも、大好きなのだ。
だが、両方を満足にこなせると、昂稀を喜ばせるのは嬉しくない。
わざと歌も踊りも不得手だと言うも、それすら意に介せず天上の鳥の名を出す昂稀に、柚は唇を噛んだ。
赤い唇を、上機嫌な昂稀の指が軽くつついた。
翌日から、昂稀が職務についている間に鳥籠のなかで、むすっと顔をしかめて座っているのが、柚の仕事になった。
と言っても、昂稀が書斎での職務についている時間は短い。
会議だ謁見だ、遠出だ会食だと、王である昂稀が書斎にいる時間は少なく、必然的に、柚は一人でいる時間が増えた。
本と球儀、壁の一面を大きく占める地図以外は何もない書斎は、柚の孤独感を酷く強める。
今日も、一人で過ごす夕方と夜の合間の時間を退屈に過ごしながら、柚は白い衣装に包まれた膝を抱えた。
寂しいわけじゃない。
ただ、まだ悲しみが癒えないだけ。
だから、寂しいような悲しいような、そんな曖昧な感じがするのだ。
だから、たまに顔をあわせれば、やれ笑え、やれ喋れと命令するだけの高慢な王にすら、逢いたくなるのだ。
「…・・・・・」
寂しさを少しでも紛らわせようと、柚は口を開き、歌を歌い始めた。
元々柚は、歌い手として、劇中に参加していた。
ソプラノもアルトも出来る、少し無理をすればテノールだって出せる音域がそこそこ広い声帯と、元々ハスキーな声は劇を見に来た客には好評だった。
公演最終日の夜は両親と劇団員で慰労会と称した宴会を開き、柚は歌を歌いながら踊りを踊って皆を楽しませたものだった。
歌は楽しいときに歌うもの。
寂しいときに歌うものじゃない。
そう思うのに、気付けば唇からは歌声が零れていく。
とめどなく自分の唇から零れていく声を止める事も出来ないまま、柚は小さな歌を歌い続けた。
物陰から、それを聞いている影がいるとも知らずに。
「お前、歌えるじゃないか」
珍しく自室でひとりで食事を摂っている昂稀に付き合い、書斎の籠から出て昂稀の自室で食事をしていると、不意に昂稀が言った。
何の事だと問いかけそうになって、夕方に自分が寂しさから歌を歌っていたことを思い出した柚は、真っ赤になって箸を握り締めた。
「なっ…聞いて…」
「通りかかったら聞こえた。いい声だな」
「……」
歌っていたのがバレたなら、黙っていずに、歌っていろと言われるのかもしれない。
けれど、自分が望みもしないのに歌わされることは、拷問に近い。
そんなことをされるくらいなら、舌を噛み切って死んだ方がましだと思いながら箸を握り締めていた柚だったが、かけられた言葉に気を殺がれて、へ、と間抜けな声を出しながら目の前の王を見上げた。
「まあ、歌いたいときに歌え。鳥はそんなもんだ」
「鳥…?」
「言っただろう、迦陵頻伽だと。迦陵頻伽は鳥だ。鳥は、好きなときに鳴くもんだろう」
「それは…そうだけど。じゃあ、あんたが歌って欲しいときに歌わなくてもいいの?」
「歌えと言われて囀る鳥は、鳥じゃない。そんなのは子どもの玩具だ」
もくもくと食事をしながら言った昂稀は、柚の二倍ほども食べた後に食事を下げさせた。
「お前、歌わなくて良いから、こっちに来い」
卓子から離れて、寝台へと歩んだ昂稀は、大きな寝台をぎしりと軋ませて腰かけると、早くしろと布団をたたいた。
しかし、お前と呼ばれてカチンときた柚は、卓子の前から動かずに首を振った。
「お前じゃない、名前がある」
「なんだ」
「柚」
「柚、こっちに来い。少し休む」
「……?」
名を呼ばれて歩み寄ると、大きな手のひらが伸びてきて、手首を掴んだ。一瞬慌てた柚だが、そのまま引かれて寝台に倒れこんだ。
「っな………なにすっ…」
倒れこんだ弾みに肘を強くぶつけてしまい、噛み付くように声をあげて抗議した柚だったが、腰を掴まれてそのまま座らせられると、言葉を失ってしまった。
事もあろうに、昂稀は柚の膝に頭を乗せ、ごろりと寝転がったのだ。
「少し休ませろ。今日は疲れた…」
「やめ…やめろよ、俺部屋に戻るし…」
「歌も踊りも強制しない雇用主だ、せめて膝くらい貸せ」
「……」
そう言われては、黙っているしかない。
なに不自由なく日がな一日をうとうとと微睡んでいる柚は、ただのただ飯食らいだ。働かざる者食うべからずが信条だった親に育てられていた柚には、ただ飯食らいではいられなかった。
「…少しだけだからな」
「ああ」
唸るように頷いた昂稀はそのまま目を瞑り、柚はいつまでも動けずに、結局三時間をそのままで過ごした。
その間、昂稀は一度も目覚めることなく、短いながらも安らかな眠りを貪っていた。
昂稀は働き者だと思いながら、ふと柚は、筆をさらさらと動かしている王を見つめた。
見た目は怖そうで軽そうなのに、そうじゃない。
朝は早朝に起きて武道の稽古をし、朝食を摂り終えた後は執務につく。昼食まで机上での執務を終え、昼食を摂った後は、城下へと降りて、王自ら市井を見て回る。夕食前に帰ってくると、簡単な執務を片付けてから夕食、入浴を終えたら、明日の予定を確認しながら見るだけの書簡などに目を通し、必要な資料等があればそれらをまとめて書庫に行き、資料を持ち帰って明日の準備をしてから、ようやく就寝する。
まったくもって、息を吐く暇もない。
少しは周りの臣や部下たちを使えばいいのに、殆ど彼らとは接しない。交わす言葉も事務的なものが多く、昂稀が彼らしい笑みを浮かべる人間といえば、広い宮中でもごく限られた数人だけだった。
それと言うのも彼が王になった経緯に原因があるのだと、柚は昂稀の臣であり乳母兄弟であり、かつ親友でもある和秦という男から聞いていた。
現在宮中にいる臣たちの多くは、弑逆された王である昂稀の父を慕っていた者たちが多く、大半が身分に頼っている愚臣だ。しかし昂稀へと玉座が移ってからは、そうも行かない。本来の仕事をしろと仕事を押し付けたり、今まで安穏と暮らしていた貴族としての生活を叩き割るように減給をし、その分民への課税を減らしたりしたため、賢臣はともかく、愚臣たちにはとても評判が悪い。それを知っていながら昂稀は必要のない、役に立たない臣を切り捨てている。そして、金に頼らない、人柄や知識の多さなどに頼った試験を開いては、宮中から追い出した愚臣の分の穴を埋めて、まずは身の回りの整理をしている。
前王で荒れた宮中を立て直そうと、昂稀なりに必死にやっているのだ。
しかし未だ信用できる臣は数少なく、それを補うために、王自ら寝る間も惜しんで働いているのだ。
「過労死しそうだよな」
話を聞いた後にぽつりと柚が言うと、和秦は少し笑って、
「だから君を買ったんだよ」
と言った。
しかしその意味がわからずに柚は曖昧に笑った。
―――どういう意味なんだ? 俺を買ったって…
意味がわからない、と、鳥籠の柵越しに見える昂稀を見ながら首を傾げていると、ふと、紙面を走っていた筆がぴたりとやんだ。昂稀が筆を走らせるのを辞めたのだ。
視線に気付いたのか、少し疲れた感のある王は柚を見ると、剣呑な目を僅かに笑ませて筆を置き、藤椅子から立ち上がった。
「なんだ。そんなに美丈夫か、俺は」
「自惚れんな、バーカ」
見ていたのは確かだ。
それに、美丈夫といっても余りあるほどに昂稀の容姿が整っている事は、決して否定できない。
しかしそれに気付かれるのはどこか癪に感じて柚がそっぽを向くと、昂稀はくつくつと笑いながら籠の入り口を開けた。
入り口とは言っても監禁するためのものではないため、鍵はついていない。柚がいつでも出入りできるように、留め金すらついていないのだ。
「少し疲れたな…半刻休む。膝を貸せ」
「いいけど…」
広く寝そべりやすい長椅子ではなく、薄い布しか敷いていない籠の床にごろりと寝転がり、昂稀は横にたたんだ柚の膝に頭を乗せた。
「半刻経ったら起こせよ」
「わかった」
頷くと、昂稀は少し笑って、瞼を落とした。
陽に焼けた精悍な横顔は、瞼を閉じて剣呑な輝きを放つ瞳を隠してしまえば、どこか幼くも見える。
確か、年は九つ上の二十五。
それなのに、いくつも年上のこの男の寝顔を少しでも可愛いと思ってしまったことがなんだか口惜しくて、柚は、すっかり寝入っている男の頬を指で弾いた。
しかし、それすらくすぐられているかのように感じたのか、一国の王は頬を僅かにゆがめて笑っただけだった。
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