慈しみの花 24








 児戯に使う姫人形に鎧を着せたような不釣り合いな細い背中が、馬に揺られて目前を進んでいく。
 時折刀を振り上げて枝を切り落とす腕の細さにはっとしながら、昂天は宣薯山脈の中腹を馬で上がっていた。
 嵐国の王都花嵐を出たのが、ちょうど一週間前。来る時よりも少しばかり馬を急がせているため、予定よりも早めに珪に帰国できる予定だ。
 四半刻(三十分)前には山の途中の分かれ道で、斉国へ戻る呼桜と昂地とも分かれた。
 分かれる間際まで昂地は素知らぬ顔で真那を怜真として扱い、昂地からは特になにも言われていないらしい呼桜はなにか言いたげにはしていたものの、口をつぐんでいた。
 斉国側の道へ消えていった二人とその護衛たちが離れてしまうと、途端に隊は半分になってしまう。それでも珪国の要人としての昂天を護るための護衛兵は多数つけられており、その中に真那こと怜真はいた。
 この旅が終われば、真那は怜真として嵐国へ帰る。それをどうにかして止め、真那に戻ってもらいたいという気持ちはあるものの、未だ昂天はなんの布石も打てずにいた。
 一歩進むごとに、真那との別れが近付いているのかと思うと気も重い。一向に良案を出してくれない己の思考にすら苛立ちを重ねながら、何度目かの溜息を吐いた時だった。
 茂みの奥から、ガサガサと大きな葉擦れが聞こえた。
 山中なので獣は多く、けれど葉擦れの大きさからして、猪や狼の危険性もある。そちらを注視しながら、昂天は音のした茂みの前を通った。
 特になにもない。最後尾の兵がその茂みの前を通過しても、何事もなかった。偶然大きな音がしただけで、兎や栗鼠だったのかもしれない。言葉に出しては言わずとも全員が緊張していただけに、ふっと気が緩んで、誰からともなく小さな笑い声があがった。
 あの不幻はもういないのだ。大捕物までして捕まえ、今は処罰を待っている。小さな盗賊はまだいるかもしれないが、大集団だった不幻が捕まったとあっては、しばらくは大人しくしているはずだ。
 すっかり緊張してしまったと笑いながら、思わず空気が和んだ瞬間だった。
 馬の高いいななき声と同時に、馬上に乗っていた昂天は、自らの体が大きく傾ぐのを感じた。咄嗟に手綱を取るも、斜めに大きく倒れる馬の下敷きになりかけ、慌てて手綱を離すと、そのまま地面に投げ出される。
 いったいなにが起きたのかと、地面に落ちて頭を打った衝撃でくらくらとする目を擦る間もなく、荒々しい怒号と、驚愕に満ちた声があがった。
「賊だ、賊だー!」
 叫んだのが誰だったのかはわからないが、どうにか立ち上がろうとする昂天の前に躍り出てきたのは、確かに官服を着た護衛兵や近衛官などではなく、ぼろきれのような服を着込み、荒々しく刃を振り下ろしてくる男だった。
 咄嗟に身を捩るも、刃は昂天の脇腹を抉った。重い衝撃と焼けつくような痛みが目の前を赤く染める。それでもどうにか足で相手を蹴り飛ばし、刺さったままの刃を抜いた。
 呼吸は乱れ、視界も霞む。それでも現状を確認するために見渡すと、あたりはさながら戦場のようだった。
 既に地に伏して動かない者もいれば、果敢に応戦している者もいる。昂天の乗っていた馬は、前脚をざっくりと切られて、地面に無造作に横たわっていた。
 不幻は討伐され、既に傘下の者たちも捕えられている。こいつらは一体なんだと混乱しながらも、昂天は切りかかってきた相手に応戦すべく、自分の血にまみれた刃を構え、どうにか相手をいなした。けれど、剣戟はやむことがない。身を捩ったために酷く痛んだ傷に気を取られた一瞬に、男が再度刃を振り上げた。
 しかしそれは、振り下ろされることはなかった。
「その方に触れるなっ」
 鋭い怒声とともに得物が空を切り、昂天に刃を向けていた者の腕に深々と刺さった。間髪おかずに、槍を片手にした真那が飛びだしてきて、容赦なく相手の肩口を槍で突いた。
「ぐっ…このがき…ッ」
 官服を着ているとは言え、先程までは隊の中でも一番頼りなげな風情をしていた真那だったが、今はまったくその姿を変えていた。
 応戦しているうちに転倒でもしたのか、白くなめらかでしみひとつなかった頬は泥と草がついて惨憺たる様相なうえ、ざっくりと切り傷が走り、鮮やかな血をしたたらせている。顔の半分を血と泥にまみれさせ、よく見ると腕にも傷を負いながら果敢に槍を振り回す真那は、やがて鋭い一突きで相手の動きを止めてしまうと、血の付いたそれを振った。
「ま…な」
 返り血で官服の前をまだらに染めた真那は喘ぐように肩で息をしていたが、昂天の声に気付くと眉根を寄せて悲壮な表情を浮かべた。
「私がいながら、あなたに怪我をさせてしまうなんて…よくも」
 泣き出しそうに悲しげな顔をしたかと思うと、真那は倒れた仲間を踏み越えて襲いかかってきた賊に向かって槍を振り回した。
 腹部から流れる血の熱さと痛みに朦朧としながら、昂天は剣戟を繰り広げている真那の足元に転がる球体に気付いた。荷物から零れたそれは、不幻討伐の際に使用していた狼煙の為の玉だ。玉から出た紙縒りの導火線に火をつければ、あっという間に赤い煙があがる仕組みだ。
 腹から流れた血で真っ赤に染まった手を動かしてどうにか狼煙玉を掴んだ昂天は、ずりずりと這いつくばって倒れた馬に近付いた。馬に載せていた荷物はあたりに散らばってしまっていたが、火打石の入った小袋は幸いにも見つかる。激しい刃当ての音を聴きながら打ち据えた火打石は、あっという間に紙縒りに引火した。
 じわじわと赤い煙が天へと昇り始める。それを放って、昂天は歯を食いしばって刃を手に立ちあがった。足元はふらつき、意識も朦朧としがちだが、このまま転がっていられるような性分でもない。ましてや、蝶よ花よと可愛がってきた養子が、いつの間にそれほどの成長を遂げていたのか、自分の血やら相手からの返り血やらで真っ赤になりながらも奮戦している。寝ていられなかった。
 既に事切れている敵の腕から真那の放った投擲の小刀を引き抜き、茂みの合間に隠れている弓使いに投げながら、昂天はただひたすらに、先刻別れを告げた兄弟が気付いてくれることを祈った。











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