慈しみの花 25







 寝返りすら満足に打てない日々が、一週間も続いた。
 珪国へ帰る道すがら正体不明の賊に襲われたあの日、昂天が投げた狼煙玉に一番最初に気付いたのは、昂地だったという。すぐさま異変を感じとり、いち早く駆けたのは呼桜で、腰に佩いていた得物を振り回して奮闘してくれた。
 けれども、この話は昂地からの伝え聞きだった。
 腹を抉られて失血していた昂天は、狼煙玉を放った後に昏倒してしまったからだ。
 昂地たちが駆け付けた時、乱闘の場には既に倒れている昂天と、昂天を背にしながら槍をふるっている真那、幾人かの護衛たちと、仲間を失いながらも攻撃の手を止めない賊たちがいたという。
 加勢に回った呼桜と護衛たちの手により賊たちは制圧され、生きている者は捕縛された。
 どの国へ連行するかということになったが、現在地から一番近いのが珪国の王都翔珪であることなどから、昂地と呼桜は急遽、昂天たちを連れて珪国へ向かった。
 先に早馬で知らせてあったため、山を下りた関門には珪国国王直属の軍が待ち構えており、昂天と真那はそちらへ引き取られた。
 急遽宿を取る事となった近場の村は、大騒ぎだったという。
 通るものといえば他国からの行商人や旅人くらいの小さな村に王直属の軍と医官団、王族が大挙して押しかけたのだ。
 慌てふためく小さな村の小さな宿でどうにか治療を受けた昂天と真那は、翌日には王都へ向かう輿に移動して、朦朧としたまま運ばれた。
 このあたりのことも、昂天は覚えていない。ただひたすらに脇腹の刺し傷が痛み、けれども頬をざっくりと切っていた真那の事も気がかりで、痛みに覚醒しては、霞む視界の中に養子を探していた。
 そうして痛みと、傷からくる熱にうなされながら王都に戻った昂天が目覚めたのは、賊に襲われてから四日目の昼だった。
 誰かが体を拭いていると気付いて目を覚ますと、偶然にも目が合い、相手は大きく目を見開いた。それは現国王昂稀の妻であり、昂天の母でもある柚だった。
「昂天! 目が覚めたのか」
「母上…ここ、は…翔珪ですか」
「そうだよ。ああちょっと待って、今医官を呼ぶから」
 手ずから看病をしてくれていたのか、絞った布をたらいに置きながら呼び鈴を振るとすぐさま女官が出てきて、医官を呼ぶ旨を申し付けられると、まあ、と声をあげてそのまま出て行った。
「傷はまだ痛むか?」
「…少しですが」
「傷が深かったから、まだ塞がりが悪いんだな。もう医官が来るから、起きるんじゃないぞ」
 実母とはいえ、王妃でもある母の前で不敬を働けないと体を起こしかけた昂天の肩を柚が押し、有無を言わさず寝台に戻される。
 そういえば柚は、昂天の兄である史昂の愛妾が獣に襲われた時も、女官に任せず、自ら看病をしていた。あの時は大変だった、と過去に想いを馳せていた昂天は、寝台に横たわる兄の愛妾や目を真っ赤にして兄と愛妾を叱っていた母、目覚めを知って飛んできた父、そして知らせを聞いて泣いて喜んだ柚空と真那までを思い出して、はっと息を飲んだ。
「あの、母上」
「うん? ああ、医官が来た」
「母上」
 白皙の頬を血に染めながら槍をふるっていた養子はどうなったのか。思わず声を上ずらせた昂天だったが、柚はそれさえもわかっているように頷いた。
「真那は…違うな、今は林伶真か。林殿は貴賓宮で処置を受けているから、心配するな」
「林伶真などではありません、あれは真…っく、う」
「昂天。興奮すると、傷が開く。会いにも行けなくなるぞ」
「すみま、せ…っ」
 林伶真の名に思わず興奮して起き上がろうとするなり、脇腹に激痛が走る。幸い出血はしていないようだったが、目がくらむような痛みだった。
 痛みに呻いている間に訪れたのは幼い頃から世話をしてもらっている医官長で、傷を診てもらった。縫われた傷口を清め、当て布と塗り薬を替えてもらっている間に柚は出て行き、治療が終わった頃には、遠ざかる足音すら消えていた。
「…それでは、また明日、診察に伺わせていただきます」
 一通り診察を終えた医官は、傷は深いものの内臓には達していないため、傷口を清潔にしていれば大事には至らない事を告げて深々と頭を下げた。
 ぐったりと寝台に横たわり、診察に使った布や薬瓶を片付ける医官を眺めていた昂天だったが、ふと思い至って、肘をついて体を起こした。
「真那は…林伶真殿の傷の具合を教えてほしい」
「起きてはなりませぬ。林様は貴賓宮にてご静養なさっておいでです」
「傷を負っていたはず、腕や……顔にも」
 白い頬をざっくりと裂いた傷や、細い二の腕のどこまでが切れたか知れない生々しい傷口を、確かに見ている。昂天は失血で気を失ったが、あれほどの傷を負っていた真那もまた、失血などしているのではと胸が騒ぐ。
 痛みよりも懸念に顔をしかめると、医官長もまた、痛ましいとでも言うように眉をひそめた。
「林様は貴賓宮にて手当てをさせていただいております。お顔と、腕、腿のあたりにも刀傷がございました。命に関わる大怪我ではございません」
「今はどうしている?」
「滋養に効く薬湯を日に三度、服用していただいております。床上げは、まだ先になるかと」
「…そうか」
 命に支障がないと聞いて安堵すると途端に体から力が抜けて寝台に沈み込んだ昂天に、医官ははいと頷いた。
「大事ございません。ただ、殿下もまだ床上げはなりませんぞ。まずは御身の具合を整えてから、お見舞いなされますよう」
 今すぐにでも貴賓宮へ向かってしまいそうな昂天に医官長が釘を刺したのが、三日前。ようやく一人で体を起こせるようになった昂天は、ここ数日は毎日顔を合わせている医官長に包帯を替えてもらっていた。
「真那の容体は…」
「林様は昨日床上げなさいました。もうお一人で歩かれています」
「わかった」
 それならば、すぐにでも会いに行かなければならない。まだ脇腹は多少痛むものの、医官長からはお墨付きをもらった。なにより、早くそうしなければ逃げられてしまいそうで、昂天は治療を終えて出て行った医官長を見送ると、寝台を降りた。
 足元にふらつきはないし、珪王宮内ならば得物を振り回さなければならないような立ち回りに会うこともない。大丈夫だろうと踏んで、昂天は自室を出た。向かう場所は、来賓宮だ。
 本来ならば以前使用していた双寶宮に運ばれるはずなのに、他人行儀に来賓宮で過ごしていることに眉を寄せてしまいながら、昂天は回廊を渡った。









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