慈しみの花 21
駆け下りた中庭は、やはり美しい場所だった。視線を巡らせると、昂地の長身と、その影に隠れるように伶真の姿があった。いつの間にか昂地の腕は伶真の身体に回り、しっかりと抱き締めている。
俯きがちな顔は血を分け合い、時を同じくして同じ腹から生まれた時から同じつくりをしたものだ。
伶真こと真那のしあわせな未来をと思い描いた願いと、ほぼ相違ない光景が目の前にある。難癖をつけるとしたら、ただひとつのことのみだった。
「昂地!」
「…昂天ですか。どうしました」
深夜であることを一応慮りながらも激情を抑えることは容易ではなく、掠れた声で弟の名を呼ぶと昂地はゆっくりとした仕草で振り向いた。その腕の中にいる伶真はびくりと身体を竦めた。
「それは誰だ」
「妃殿下近衛官の林伶真殿です。気分が悪いらしく…そっとしておいてくれますか」
「それならお前が手を貸すこともないだろう」
「私が見かけたから、手を貸しているのです。あなたこそ、どうしました」
「……そこの…伶真殿に用が」
苦し紛れに言い訳じみた言葉を漏らすと、伶真の腰に回っていた昂地の腕が下りた。
「どういった御用でしょうか」
「お前に言う必要はない」
「いいじゃありませんか。それとも、他愛ない用件でしたら今日のところは…」
「俺は、伶真に用があるんだっ」
声を抑えるのに必死になりながらもにじり寄ると、昂地の影になったままの伶真がびくりと揺れ、戸惑うように二歩ほど後退した。装飾の施された柔らかい布沓などではなく、底には革で包んだ薄い木板を仕込んだ沓の下で、砂利がきしんだ音を立てた。
「話がある」
「なにを今更言うのです? 言ったところで、あなたはこの子をしあわせに出来るというのですか?」
「だが俺は真那の養父だ! なにか知っているな、昂地。事と次第によっては、柚空にも、父上にでも、俺は詮議するぞ!」
「やめてください…!」
ふらふらと、伶真が後退して昂地から離れた。ゆっくりとあげられた顔はいつのまにか零れた涙に濡れ、ほっそりとした小さな顎からは雫が落ちた。
「もう、…もう、お許しください…」
昂地からも昂天からも離れ、もはや伶真の仮面を脱ぎ捨てた真那は小さな声で言い募った。
「れい…真那」
「お許しください、もう…真那は耐えられないのです」
自らを真那と言い、自ら身を偽っていたことを言葉にした養子は、はらはらと涙を流しながら震える膝を折り、砂利の上にへたり込んだ。
珪にいた頃は、それこそ花よ蝶よと可愛がっていた養子が硬い石の上に座り込むことに慌てて手を差し出しかけた昂天だったが、あげられた視線と目があうと、黒い双眸に滲む拒否に、声もなく手を引いた。
罪人のごとく跪いたまま、真那はほっそりとした首をしなやかに伸ばし、養父であった男と、その兄弟を見つめた。
「すべて…真那が悪いのです。どなたにも非はありません、詮議をなさるのでしたら、この身を裁いてください…」
ぱたぱたと落ちていく雫が、砂利の丸みを濡らす。僅かに上向いたその表情は酷く哀しげで、昂天が今までに見たこともないほど大人びていた。
「お前が悪いなど…」
言い澱み、言葉は口内でくぐもって消える。真意は見えず、今や目の前の養子は、正体を明かしながらも他人のようにすら見えた。
茫然と立ち竦んだ昂天を濡れた双眸で見上げながら、真那はふっと微笑んだ。
「すべて真那が悪いのです。はしたない奴だと罵ってくださいませ。御義父上であるあなた様を…幼少の頃よりお慕いしておりました」
小さな告白を攫うように、さあっと風が吹いて葉を揺らす。
その場にいた誰もが、声を出せずにいた。
そこへぱさりと、重みのある音が重なった。
「誰だ」
咄嗟に身構え、帯刀していた太刀の柄に手をかけたのは昂天だった。じりっと砂利を踏んで音のしたほうを睨みつけたが、さやと風が吹き、どこかで葉の落ちる乾いた音がした。
「葉に、枝が落ちたのかもしれません」
それまで口を噤んでいた昂地が呟いた。
また静かに沈黙の下りた庭で、月明かりが涙に濡れた砂利をつるりと撫でた。
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