慈しみの花 20
成婚の儀が執り行われた日から四日後に、昂天の帰国日が決まった。明日には出立という日、昂天は貴賓宮に設えられた一室でぼんやりとしていた。佇んだ露台からは緑豊かな庭園が見え、それらは月光を受けて葉を輝かせていた。
林伶真は、あの日以降昂天とは全く接点がなかった。柚空とは何度か顔をあわせたが、物言いたげな表情を浮かべながらも、末弟が声をかけてくることはなかった。
果たして真那はこのまま嵐にいて幸せだろうかと、昂天は義父として考えた。
珪に居さえすれば、真那は昂天の義子として、何不自由のない暮らしが約束されている。特に働かずとも広く煌びやかな居住はあるし、食も不自由ない。衣類に関しても望めばなんでも手に入る。宮暮らしの多少の堅苦しさも、真那は幼少の頃から慣れ親しんできている。市井に暮らす民たちが、憧れてやまない生活の全てを、労せずして手に入れられるのだ。
それならば、なぜ真那は嘘を口にし、姿を偽ってまで昂天から離れたのか。
嫌われていたのかと誰かに問われれば、愚問だと即答できる自信はある。真那は間違いなく昂天を慕っていたし、昂天も真那を目に入れても痛くないほどに可愛がってきた。珪王一族の末端に控えさせるためにと多少厳しく育てた節もあるかもしれないが、それも真那のためを思ってだ。
成人した暁には、きっといい相手を見つけてやって、幸せな成婚をさせようと思っていたのにと溜息をついた昂天は、ふと自分の中の矛盾に気がついた。
成人したとき、真那には自らどの性を選んで生きていくのかを選択させるつもりでいた。もちろんそれは本人の意見を尊重して、滞りのないように昂天も後押しをするつもりだった。
例えば、思い描いた未来の真那は、いつも曇りのない笑顔だ。普段が女の装いをしているせいか、淡い色合いの衣装をまとった養子の隣に、誰かがいる想像をする。大人しく、楚々とした真那を娶るならば、誠実で真面目な男がいいだろう。物静かな文官もいいが、やはりいざとなった時には武官がいいだろう。
しかし、そこまで考えた瞬間に、やはり胸の辺りにわだかまるものに気付く。
それが一体何なのかを追求しようとすればするほど、謎は深く不明瞭へとなっていく。苛立ちながら酒の杯を傾けた昂天は、ふと月光に浮かび上がる庭園に訪れた影に瞬きをした。
ゆっくりとした足取りで庭園に足を踏み入れたのは、今まさに昂天の胸中で動向を不安視されていた真那こと伶真だった。
見知らぬ男と二人連れでやってきた伶真は、促されるままに庭園にいくつか設置してある長椅子のひとつに腰掛けた。連れ立ってきた男の方は腰掛けず、伶真の斜め前に立っている。さすがに声まで届かないものの、二人は会話をしてるようだった。先日会った際に近衛官と名乗っていた伶真だが、線の細さや繊細な雰囲気は、どう見ても文官だ。対して伶真の目前に立っている男こそ武官というに相応しい体躯で、腰には剣を佩いているのか、腰の辺りから細長い影が見えた。
両脚をしっかりと地につけて長身を伸ばして佇む姿は真面目そうに見える。実際に誠実かどうかなどをはかることはできないが、後ろで組まれたきり動かない両腕は、少なくとも堅実そうだと感じた。
二人はどういった関係なのだろう。真那こと伶真は一見して、普通の武官の格好だ。今は手に得物もなく、式典の際には甲冑を備えていた身体にも官服しか纏っていない。嵐国正妃である柚空の近衛官というからにはそれなりの高位ではるのだろうが、傍に佇んだ青年も高位と考えられる衣装を纏っていた。官服こそ伶真と同じように誂えているようだが、腰には剣のほか、功績などによって国から与えられる宝玉や環珠などが下がっている。若いように見えるが、それなりに実績を積んだ武官なのだろう。格好からして伶真の方が部下に見えるが、長椅子に腰を落ち着けているのも伶真の方だ。
果たしてどういった関係で、どういった用で夜更けにこんな場所に二人でいるのかと悶々と昂天が考えていると、月明かりに浮かぶ演劇場のような庭に、更にもう一人の影が現れた。供もつけずに現れたのは、昂天の双子の弟の昂地だった。
現れた貴賓に二人は姿勢を正した。伶真は腰をあげ、一緒に居た青年武官は深々と頭を下げると夜陰に消えていった。
月下の庭園に残ったのは、伶真と昂地のみ。二人は二三言話すと、連れ立って庭園を歩き始めた。先に立って歩くのは昂地で、その二歩ほど後ろをついていくのが伶真だ。
昂地がまだ珪国におり、伶真も真那を名乗っていた頃から、二人だけでいることを見るのは滅多になかった。特に交流があった様子もなく、昂天の傍に昂地がいれば、真那も頭を下げたりなどしていた。
二人は歩きながら会話を交わし、時折立ち止まっては昂地がほぼ一方的に伶真に言葉をかけていた。だが、それもほんのわずかな間だった。
「…なにを…してるんだ…?」
つと伶真が立ち止まった。昂地は気付いていないようでそのまま数歩ほど歩んだが、背後からの気配が遠ざかったことに気付いたのか、立ち止まって振り向いた。
悲鳴のような声が、夜陰を震わせたのは間断置かずしてだった。
「……ですが…!!」
響いた声は、それだけだった。それ以上は発さず、伶真は俯いていた。その身体に昂地が手を差し伸べた。
「…っ」
細い小さな肩。華奢で、手のひらにすっぽりと収まってしまう。それを知っているのは、昂天の手だけだった。それが今は、昂地の手のひらに収まっている。
双子の弟は既に妻が居る身だということや、真那がなにかを厭って昂天から離れたことは、十分すぎるほどにわかっていた。しかし、それもどこか遠い。
かっと脳裏を焼いた怒りと衝撃ととも欄干を握り締めた昂天は身を翻し、階下に下りるべく、堅固な扉を蹴りあけて貴賓宮の一室から飛び出した。月光を受けて寄り添う二人は、恐ろしいほど昂天の理想のものだった。
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