慈しみの花 11





 


 ふたりの息子が去った後、一人議室に残った昂稀は、開いていた書簡をたたんだ。
 既に五十を過ぎた身ながら、堂々たる長身は腰を曲げることなく立ち上がり、慣れた仕草で腕に書簡を抱える。すると、それを見計らったようにカタンと微かな音が扉の向こうから響いた。
 議室では重要機密の会議も行われるため、三枚向こうの扉までは憲兵すら立たない。
 既に史昂も昂天も立ち去ったこの場に居るのは、昂稀だけのはずだ。
 一瞬黙りこくって口を引き結んだ昂稀だったが、やがてゆっくりと開いた扉の隙間から覗いた二つの顔に、ふと表情を和らげた。
「柚空、真那」
 小さな顔をそっと出したのは、実の兄弟のようにいつも一緒にいる子どもたちだった。
 ふたりは大きな目を動かして議室内をくるりと見渡し、それから互いに見やって目でなにかを目配せした後、真那があの、と声をあげた。
「朝議は終わりましたか?」
「ああ、今終わったところだ。何か話か」
「はい。あの…お時間よろしいでしょうか?」
 朝議のあとには政務が控えているが、特に急いで室に戻ることもない。なにもなければ政務室に戻る昂稀だったが、真那からの問いに鷹揚に頷いた。
「もちろんだ。ではこちらで話そう」
 立ったままでは難だし、いつまでも議室にいる用もない。ふたりを連れて議室を出ると、昂稀は右に柚空、左に真那をつかせて王の政務室がある環珪宮へ向かった。
 環珪宮は王宮の北西側に位置し、宮内には政務室と小さな議室、それに書斎が組み込まれており、限られた者しか出入りの許されない場所だ。
 幼い頃から宮中を駆け回っていた柚空と真那だったが、さすがに環珪宮までは脚を踏み入れたことが無く、その隣、西側に建った珪国王妃柚が主である沙音宮にある居室でよく昂稀と遊んでいた。しかしそれもふたりが十になった歳に与えられた双寶宮に移ってからは少なくなり、今ではふたりが一緒に居ることは多々あっても、昂稀も一緒に居るということは、殆どなくなっていた。それは、既にふたりが元服を飾る直前の十五歳という年齢のせいと、やはり王とその他という身分の違いを弁えることが出来るようになった成長の証でもあった。
 その為、環珪宮へと案内されると、ふたりは途端に目を瞬かせ、落ち着きなく辺りを見渡して数居る警備兵を見たあと、一際礼儀正しく環珪宮の門をくぐった。
 朱塗りの柱の間をくぐった三人は、環珪宮の突き当たりに位置する扉の前に立った。そして昂稀が扉を押すと一枚の板で出来た大きな扉がゆっくりと動き、政務室が露になる。
 他国王の政務室を見たことがないのでふたりとも口にはしなかったが、多少は驚いて口を小さく開き互いに見つめあうと、まるで鏡を見ているかのように慌てて口を閉じた。
 珪王昂稀の政務室には、応接用の脚の低い長椅子と卓子が中央に敷かれた毛足の長い敷布の上に設置してあり、その向こうに政務用の広い文机と椅子、その隣に書類が積み重ねられた卓子があった。向かって左の壁には書棚が設置してあり、そこにはみっちりと書簡が収まっていたが、それでも足りないのか傍に置かれた卓子の上にも書簡が山を作っていた。右の壁には歴代の王たちの肖像画と、珪、斉、嵐、環、祐、陶、遥国の描かれた広域地図、そして珪国だけが詳細に渡って記載された地図が張られていた。
 広い室内は大きく取られた窓から差し込む陽光で明るく、掃除も行き届いていて整然としている。そこまでは、なんとなく予想できた。しかし、多分どの国の政務室を覗いても、珪国以外には見受けられないものを見た瞬間に、ふたりの唇は小さく開いた。
 左側の壁付近、遮光のための布が窓にかけられて薄い光の差し込むそこに、鉄製の鳥篭があった。それは窓側を天辺からの薄い麻の布がかけられているもので、下から二尺(約六十センチ)ほどの高さまでを隠していた。鳥でも飼っているならあっても不思議はないが、ふたりが唖然としたのは、鳥篭のその大きさだった。高さ約十尺(約三メートル)、直径は九尺ほど。どう見ても尋常じゃないその鳥篭には長椅子と直径が一尺ほどの卓子が入っており、丸いその卓の上には涼扇が一本置いてあった。
 思わぬものとの遭遇に呆然としているふたりに笑いながら、王はそっと肩に手のひらを置き、長椅子に案内した。裾を踏んだり余計な皺をつけてしまわないように注意しながら御前を失礼いたしますと一言置いてふたりが長椅子に腰掛けると、卓子を挟んで昂稀も腰を落ち着けた。
「…で、話とは?」
 低くよく通る声がふたりの耳朶を滑る。
 そっと互いに横目で見合った後、先に柚空が口を開いた。
「嵐国よりの珪姫所望について、ふたりで話しました」
「珪王様の助言も戴かずに申し訳ありません」
 柚空の言葉に続いて、真那が勝手を詫びる。その声に鷹揚に頷くと、おいで、と手のひらでふたりを招いた。
 まだ年端もいかない幼い頃なら、ふたりとも喜んで駆け出し、その広く温かい腕に抱きついていた。しかし既に分別を弁えることを覚え、己の身分や体面などを識った歳でもある。
 困惑を露にし、互いに顔を見合わせたふたりに苦笑して昂稀は再度手を招いた。
「こちらへ」
 王の言葉に、ふたりは逆らわず傍へ寄った。
 大国を統べる王は椅子に寛げた脚を僅かに開くと、腿の辺りをたたいた。
 幼い頃から何度も見てきた仕草に、ふたりはまた互いに見合い、瞬きをした。
 右の膝は柚空、左の膝は真那。
 それが昔からの低位置だった。ふたりが落ちてしまわないように、王は華奢な腰に腕を回して支えてくれて、ふたりは甘やかしてくれる王に左右からこしょこしょと内緒話をしては、くすくすと笑いあったものだった。
 しかしそれはふたりがまだ幼い頃の話で、十を数えてからは久しくなっていた。
 どうしようと言うように真那の眉がハの字になり、真那と父王の膝を見比べ、柚空も困ったように瞬きをする。
 困惑に身を固まらせた柚空と真那に、昔からこのふたりを甘やかすのが好きだった王は皺の寄った目尻をたわませて笑った。
「お前達ふたりくらい、重さのうちに入らん。それとも、五十を過ぎた爺の膝は嫌か」
「そんなことありません!」
 ふたりで同時に言うと、右に柚空が、左に真那が周り、それぞれ裾を引いて膝に腰掛けた。
 両膝に平等にかかった重みに王は柔和とはいえないものの、若い頃の剣呑さはなりを潜めた双眸を細めた。
「重くなったな」
「重さのうちに入らないと言ったのは父上です」
「やはり退きましょうか? 御腰を痛めてしまいます」
 しみじみとした声に柚空が憤慨し、真那が慌てるのを笑ってなだめると、王は幼い頃にしていたようにふたりの腰を抱いた。若かりし頃は多く剣の柄を握っていた手は、今は薄く皺が寄り、柄を握ることなど久しい。けれど広い手のひらが大きく温かいことは変わらず、慣れたぬくもりに、ふたりは体を落ち着かせた。
「大丈夫だ。…それでは聞かせて貰おうか。我が姫たちの思惑を」
 王の低い声に、両膝に腰掛けたふたりはそっと視線をあわせ、それから声を抑えるように口許に手を添えた。両の耳にふたりの声をそれぞれ聞き、しばらくしてふたりが耳から離れると王はふ、と息を吐いた。
 そして、腰に届くほどまで長く伸ばした艶のある黒髪がさらさらと肩を滑っていく様を見つめ、王は我が子のように可愛がってきた少年とも少女ともつかない子どもの小さな頭を撫でた。
 柚空はただただうつむいて口を引き絞り、真那はただひたすら、うつむいて目を閉じていた。伏せられた睫毛の先には、透明な雫が光っていた。
「真那。私はお前を柚空と同じに思っている。我が子同然、お前は私の末の子だ。無理をして行かずともいいんだぞ」
 小さな頭が下げられているのを痛ましげに見ながら王が囁くと、しかし決して王の子にはなり得ない子は首を左右に振った。
「違います。望んで行くのです。そうでないと…真那は」
「…真那」
 ぱたた、と雫が落ちていく。膝に、床に落ちた雫は透明で、小さかった。








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五十男でれでれ。
相変わらず子どもに甘い王様です。