慈しみの花 3





 

 
 父からの文を待って滞在した村から真っ直ぐに王都を目指して十日。予定通りに珪国王都である翔珪を凱旋した昂天は、初陣の祝辞をと歓声をあげて出迎えてくれる民に笑みを向けながら、腕に抱いた赤子を揺らしていた。
 名をつけようとも思ったが、父に聞いてからでないといけないかもしれないと思案した結果、赤子に名前は未だない。
 名無しの赤ん坊は迎える歓声と高い建物、多くの人々に驚いたようにぱちぱちと瞬きをしながら、あう、うんー、と意味を成さない声を発しながらそれでも大人しくしていたが、やがて眉根をきゅっと寄せた。
「っふ、ぅえ、うっく…」
 昂天の指一本を掴めばそれだけで手のひらがいっぱいになってしまうほど小さな手をきゅっと握り締め、ふくふくとしたやわらかな頬を赤く染め出した赤ん坊は、やがてもしないうちに甲高い泣き声を上げ始めた。
「ぅ、ふああぁあぁ、あぁ、ぁあうー」
「な、なんだ、おねむか、おむつか?」
 普段大人しい分、泣き出すと凄まじい。
 わんわんと高い声で泣き出した赤子を抱いたまま馬を止めた昂天は、柚から贈られた産着の股間を触った。しかし濡れてもいなければ、異臭もない。かといって、眠いわけでもないらしく、ぐずっているわけではない。
「どうした、なんだ…?」
 小さな体をいっぱいに使って大声で泣き喚く赤ん坊をおっかなびっくり抱えながら、突然の泣き声に呆気に取られている民たちにひとつ頭をさげると、失礼、と短く言って昂天は馬を飛ばした。
 立ち寄る村々で母乳をもらい、世話を殆ど任せていたため、扱いが本当にわからない。眠いときは揺らして眠らせばいいのと、お腹が空いて泣いたなら乳をあげればいいのはわかるが、それ以外は手に負えない。おむつの替え方も知らないし、もし病気などだったら本当にどうしたらいいかわからない。
 火がついたように泣き出した赤子を抱えて昂天が飛び込んだのは、広い王宮の中央部にある、王専用の政務室だった。
「ただいま帰還いたしました、父上っ」
「昂天か。御苦労だったな…なんだ、煩いぞ」
 唐突に帰宅した息子に声をかけはしたものの、酷く甲高い泣き声を上げる赤ん坊にはわずかに眉をしかめた珪国十二代王昂稀は、持っていた筆を筆掛に置くと、腰をあげた。
 悠々とした長身は、成長途中である昂天からすれば見上げるほどのもので、限りない憧れの象徴だ。
 不機嫌というわけではないものの、眉根に皺が刻まれていることが多い父はのそりと立ち上がると、昂天の腕に抱かれた赤ん坊を見下ろし、ん、と喉を鳴らした。
「可愛いな、どれ、抱かせろ」
 顔を真っ赤にしながら泣き喚く赤子をものともせずに手を差し出した昂稀は、抱かせろとせがむ。顔こそ仏頂面で怖いと言われる父だが、子どもが好きなのは昂天も知っているので腕を差し出して赤子を渡すと、すっかり慣れきった手つきで赤ん坊を抱き上げた。
「真っ赤になって、なんだ、腹が減ったか」
 泣きすぎて汗までかき出した額を撫でてやりながら昂稀は泣き声をあげる唇をちょんとつついた。するとなにかを求めるように小さな唇がむにむにと動き、なにもないと知るとまた泣き出す。その反応を楽しむ父を見ながら、昂天は政務室を見渡した。
「父上、母上は」
「柚なら沙音宮だ。今の時刻なら…そうだな、沙音宮だ」
「沙音宮ですね。わかりました」
「母乳が飲めるなら柚に頼むといい。飲めないなら厨宮へ行って白湯か乳湯でも作ってもらえ」
 ふああんと泣き声をあげる赤ん坊を昂天に返しながら言った昂稀は、涙で濡れた頬を政務衣の袖でちょいちょいと拭いてやると、机に戻った。
「失礼いたします」
「ああ」
 声に送られて政務室をあとにした昂天は、北西の位置にある沙音宮へ脚を向けた。
 その腕には、泣き声すら小さくなってきてしまった赤子が大切に抱かれていた。








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実を言うと本当は無くてもよかった回。
すいません、ただ昂稀が書きたかっただけです…。