Robinson's cherry 23


















 
 翌日、ウォートは誰よりも遅く寝たのに誰よりも早く起きた。普段から規則正しい生活をしていたせいもあるのだろうが、興奮して眠れなかったのだ。
 目もこすらずに起きると、ウォートはまだ寝ている弟を起こさないように静かに部屋を出た。
 朝のひんやりとした、ぴんと心地よく張りつめた糸のような空気が、まだ誰一人として起きていない廊下を満たしている。足を踏み出すと、床板がきしりと鳴った。
 出来るだけ足音を立てないように歩き、昨夜グランシー街の夜景を見た窓に近づく。透明な硝子の向こうは、朱と蒼に彩られている。空の上は静かな蒼が薄く何重にも膜をはったように広がって、まだ夜の闇を微かに残している。下方は鮮やかな朱が、夜をのみこもうと、じわじわとまるで染み込んでいくように広がっていく。そしてそのちょうど中間は、夜と朝がせめぎあいながら溶けあって、曖昧に紫だったり蒼だったり朱だったりした。
 朝の空気に冷やされた空気が、窓に蒼と朱と紫の空の色を受けた露をつけていた。
 指先が痛いほど冷たい硝子窓に指をすべらせて、露で指を濡らすと、ウォートは不意に後ろに経った気配に振り向いた。
「雫」
「おはよ」
 まだ薄闇の廊下に立っていたのは雫だった。ひらひらと手を振って、隣に立つ。
 寝起きなのか、ふあぁ、とあくびをして目をこすると、妙にさっぱりした顔で窓の外を覗き込む。吐息が落ちた窓が、白く曇る。
「もう行くの?」
「や、まだ樹さんも起きてないし…」
「行けばいいのに」
「え」
「太陽があがってきたよ。そろそろみんな起きる時間。ウォート、行きなよ」
「でもまだ」
「情報は逃げるよ。ウォート言ったでしょ」
「言ったけど、樹さんに挨拶もなしに行くのは失礼だろ」
 すると雫はふん、と鼻息荒く腕を組み、口をとがらせた。
「樹ならいないよ。二時間くらい前に帰っちゃった」
「は?」
「家のベッドじゃないと眠れないんだって。雫もね…なんかベッド硬くて起きちゃった。アークったら、よく寝れるよ」
 呆れたように言って雫はどうやら硬いベッドで傷めた肘をさすると、だからね、と続けた。
「ウォートも、寝直したりしないでもう行きなよ。どうせアーク、今日はすごい遅くに起きてくると思うよ。待ってたら時間は過ぎるんだから。ほら、さっさと荷物まとめて。送ってあげる」
 でも、と言い募ろうとするウォートを押して部屋に戻してしまうと、雫はまだ眠っているアークにかまわず音を立てて出立の準備をしてさっさと部屋を出た。
 まだ誰も歩いていない廊下を二人で歩き、朝食を作るために起きていた使用人に、先に出ると告げて、玄関に出た。
 雫は持っていた荷物をウォートに渡すと自分はかまちに降りず、廊下で小さく笑った。
「グランシー街の街門は、リンチュエイの浜辺があるでしょう、そこから道があるから、少し歩いたらすぐ。大きな石門だから、遠くからでもよく見えるよ」
「わかった。ありがとう」
「今度逢うときは、澪を連れてきて」
「きっとな」
「いつでも歓迎するから」
「ああ。じゃあ、また」
 ひらひらと蝶のように雫の白い手が揺れて、ウォートもそれに応じて手を振って歩き出した。しばらく後ろを振り返り振り返りしては手を振っていたが、やがて朝霧にぼやけて見えなくなり、ウォートは手を振るのを止めて荷物を背中に背負い直した。
 何度も通ったリンチュエイの街は久しぶりでも迷うことはなく、浜辺へは朝霧で道が見えなくともまっすぐ行くことが出来た。
 ひんやりとした空気の漂う浜辺を通りすぎて道沿いに行ってもよかったのだが、石階段の上から浜辺を見下ろすと、なんだか澪が横たわって自分を待っていてくれるような気がして、ウォートは砂に足を取られながら砂浜に飛び降りた。
 白い砂が革靴の下に踏まれて、かたちを崩す。
 朝靄がまるで雲のように漂うなか、変わらぬ波音が辺りを満たした。
 当たり前だが、でもこころのどこかでは期待していた。もしかしたら、澪がいるのではと。
 波音と冷えた空気が漂う浜辺には当然誰もいなかった。
 自分で振り切っておきながらなにを期待してるんだかと嘆息して浜辺を横切る。
 よく二人でもたれあって眠った岩や、ここからここまで、と決めて歩く練習をした枯れ木を眺めながら歩き、ウォートはぴたりと立ち止まった。砂に埋もれた革靴が少し沈む。
 澪がつけていた薄い使い古しのショールが、風雨にさらされて破けながら、辛うじて木の枝に引っかかってひらひらと舞っていた。
 砂を踏みながら近寄って手を伸ばし、指先で触れる。
 風化したショールは、指先に触れたところから細い繊維になってぱらぱらと風にさらわれて崩れた。
 まるで自分の腕からするりと抜けて、ウォートの知らぬ地へ消えて行方の知れなくなっている澪を連想させて、ウォートは一瞬むきになって腕を伸ばし、ショールを抱きすくめた。
 ぼろぼろになったショールは風以上の強い衝撃に耐えきれず、腕の中で崩れてさらさらと風に流された。
 儚いほどの消え方に、ぞくりと背筋が寒くなる。
 まさか、こうはなっていないはずだ。ちゃんと見たって人がいるんだから。
 だけどそう思いながらも気は急いて心臓は不安に高鳴り、腕を解くとウォートは砂を蹴散らしながら砂浜を早足で横切った。
 砂浜を抜けるとしばらく道があり、砂浜からではなく、港の方から延びている道と合流して一本の道になっていた。気付けばもう朝靄は晴れていて、朝露に濡れた草が道の脇できらきらと光っていた。
 コンクリートや石畳で舗装されていなく、人や馬が幾度となく長い年月のあいだ通ってできた道を辿って歩く。
 途中でリンチュエイの市場に行くのであろう商人と逢い、林檎を二つもらった。農薬など知らずに育った真っ赤な林檎は甘酸っぱく、一つ囓り、もう一つは背に背負った麻袋に入れた。
 宝石を売った金を使えば一頭くらいなら馬を買えたのに、早朝に出たせいで店は開いていなく、ウォートはせめて昨日の内に買っとけばよかったと思いながら道を延々辿った。
 二時間ほど歩いた。
 雫はすぐだと言ったが、信用するのではなかった。この星は馬以上の交通手段はないので、星の住人は五、六q程度なら平気で徒歩で歩くのだ。
 ようやく見えてきた石門になんとなく安堵しながら、この星に降りる前に着替えた麻の二股の尻に手をまわす。ポケットには、澪からのお守り―――鱗が大切に包まれてはいっている。
 この門をくぐったら、グランシー街だ。行方の知れない澪がいるという。
 人の背丈の五倍ほどもある巨大な石門を見上げてウォートは深く息を吸い込んだ。胸に潮の香りが満ちる。
 深呼吸で呼吸を整えると、ウォートは門の中に一歩踏み込んだ。




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