Robinson's cherry 16
大侯爵家名門ブライゼータ家の次女アリアは、軍事的な才能と知能も人並みではなかったが、それよりももっと勝る能力を持っていた。
株式である。
経済学者の博士号を持つ父の遺伝なのかそれとも天性のものなのか、株式について彼女の右に出るものはいない。父親もまたしかりだ。十歳の頃から父親の金を元手に株を買い始めた彼女は、めきめきとその頭角を現し、半年ほどで元手を父に利子付きで返してしまうと、あっという間に数戸の大企業の大株主におさまり、今では年収は、軍勤めの長兄と次兄に勝るとも劣らない。実に素晴らしい才能だ。
そんな彼女は企業の行く末を冷静に見据える力を持っていた。ということは、一個人との金の駆け引きでまけるわけがない。
そしてウォートが妹であるアリアに説教された日から二週間経ったこの日、彼女はその力を最大限に生かしていた。
「三千五百万ソルト!」
「三千六百万よ」
憤然とアリアが三千六百万よと怒鳴ると、その前の席の客が更に声を張り上げて三千八百万と叫んだ。
アリアはその声を聞いて少し考えるように顔をしかめると、静かな声で値を重ねた。
「四千二百万」
会場がざわめき、そして静まり返る。
淑女然として優雅に商品を見ているアリアを見つめて、オークショニアがごくりと唾を飲んだ。
「五番、アリア・ブライゼータ嬢、四千二百万です。よろしいでしょうか」
「待った!
四…四千五百万出そう」
上擦った声で叫びながら、客はそわそわしている。
まだ十三歳の少女とはいえ、大侯爵家ブライゼータ家の一員だ。彼女のそばに控えている従者は一人だが、待合室にいた彼女の従者は他に四人もいて、四人とも大きなジュラルミンケースを二個ずつ持って控えていた。あの中には大金が詰まっている。彼女がこれ以上の上乗せをする可能性はあるが、彼にはこれ以上の余裕はなかった。最後に出る目玉商品を競り落とす機会を無くしてしまう恐れがあるのだ。だが、今舞台に飾られてスポットライトを当てられている美しい壺は、彼が愛してやまない陶芸家のものである。なんとしても手に入れたかった。
「出ました、上乗せ!
アリア嬢、どういたしますか」
冷や汗をかいている男の後ろの席でアリアは困ったような顔をした。だが、実は競り落とす気など、毛頭ない。
ごくりと唾を飲んでいる男の頭の動きを目の端で確認すると、アリアは軽く頷いた。
「仕方ありませんわ。ルド男爵にお譲りします」
カーンと耳に触るほど大きな、木槌を打ち鳴らす音が会場中に響きわたる。
「十八番、ドニー・ルド男爵により、アルカディアの壺、四千五百万で落札です」
妹の鮮やかな手管を見ながら、ウォートは会場である一階を見下ろせる売り主の席で、一人放心していた。
別に壺や食器が次々と売られるのはかまわない。すべて実家ではなく自宅にあったもので、飾られていたり倉庫に保管されていたものだが、もともと装飾品などに興味のないウォートには、何故貰い物の壺や皿があんなに高値で取り引きされていくのかが不思議でならなかった。ウォートにとって壺や皿は使ってこそ価値のあるもので、飾りものとしての価値など不要だったのだ。
だがそれより、ウォートには何故妹がこれまでに人の限界を察知できるのかが、一番わからなかった。
ウォートが思わず放心してしまうアリアの手管は、最も初歩的でありながら、一番効果のあるものだった。相手の限界を己の眼力で見極め、限界まで徐々に徐々に追いつめるのだ。クロウに評価されるだけあって彼女の眼力は侮れないものであり、本人もそれを自負しているのでその驚異は留まることがない。そうして彼女のその恐るべき眼力によって、陶磁器や皿はあっという間に大金へと姿を変えた。
アリアは実に鮮やかな手さばきで次々と商品の価値を上げていくと、最後までねばっていたライバルの限界を見据えて自ら引いた。
やがて最後の商品であり、その日最高の目玉商品である絵画が運ばれてきた。ウォートの自宅の倉庫に眠っていた絵画だが、サイズが縦二メートル横三メートルと大きいため、今まで飾られることがなかった。
真面目な倉庫番が三ヶ月に一度、倉庫にしまわれている壺や陶磁器や絵画をきちんと手入れしているため、傷みや染みは全くない。運ばれてきた絵画から、オークショニアの手によって布が取り去られた瞬間、アリア以外の会場の客という客は一斉に頬を紅潮させて目を見開いた。一気に、オークション会場に満ちていた高揚感が高まる。
コンコン!
ざわめく客たちはオークショニアのはなった木のぶつかる音で静まり返ったが、みな目は絵画に釘付けだ。
「商品ナンバーw−19283、画聖R・S・ヒュースの『木漏れ日』。一億からスタートします」
オークショニアの説明が終わるや否や、周りにいた客たちが我先にと手を伸ばす。
「一億五百万!」
「一億八百万よ!」
騒がしい客たちの間で、アリアは静かに座っている。騒ぎ立てる客たちをぐるりと見渡し、改めてどんな顔ぶれが揃っているのかを確かめる。
(オンタリア公爵夫人、…ルド侯爵はもうないみたいね。あらリーズソルト伯爵がいらっしゃるのね…。やだ、エリー嬢もいるわ…。―――オズイット様もいらっしゃるじゃない…)
見知った顔ぶれの中で、この人は多分最後まで残る、この人はもうそろそろ終わりかしらと目測をつけながら、彼女は後ろに控えていた従者の名を囁いた。
「ウェイ」
「はい」
すぐ近くにいた、黒いスーツを着込んだ従者はかすかな声を逃さず、すっと主人のそばに来て片膝を折ると、頭を垂れた。その様子には、幼い主にいやいや付き合っている様子はなく、心底敬っている態度だけが見える。
「いくら持ってきたかしら」
「一つ四千万ずつのケースが八つで三億二千万です。足りないようでしたらお運びいたしますが」
アリアが従者に運ばせた金は彼女が株式でもうけた金だ。どうしようと、両親はなに言わない。
「三億二千万…いいわ。あと…リーズソルト伯爵、いくらぐらい持ってきてるかわかるかしら」
「少々お待ちいただければ」
「急いで」
ウェイと呼ばれた従者はすぐに立ち上がると、その場をすぐに離れて、一分も経たないうちに戻ってきた。
「四千万のケースを六つ持っているようです。二億四千万ほどだと」
「そう…他は?」
アリアはリーズソルト伯爵の持ち金だけを調べてくるよう言った。だがウェイは主の言葉に狼狽える様子もなく頷いた。まるで主がそういうことを予測していたかのように。
「オンタリア公爵夫人は二億ほど、エリー嬢は一億五千万ほど、オズイット様が五億五千万ほどだと思われます」
本当なら他にも客は大勢いるのだが、現時点で手を挙げているものだけを抜粋して言うと、アリアは頷いた。
「わかったわ。ありがとう」
主人の言葉に深く頭を垂れると、ウェイはもとのように主人の後ろに控えた。
アリアは手を組んで目の前の騒動を見ながら頭を回転させると、不意に叫んだ。
「二億五千万!」
高いその声は騒音にかき消されそうになったが、一瞬で辺りが静まり返り、彼女の方を向いたとき、もう一度同じ言葉が口から発せられたので誰の耳にも聞こえ渡った。
「二億五千万よ」
その時行き交っていた相場は一億から二億へと小刻みに渡ろうとしているときだった。それを突然無視して大幅に値上げした彼女は自信満々に言い切ると、オークショニアを睨んだ。
「二億五千万よ。聞こえませんの?」
「も、申し訳ありません!
五番、アリア・ブライゼータ嬢、二億五千万ソルトです!よろしいですか!?」
「待った、二億六千万だ」
声をあげたのは先刻アリアと争った末、まんまと策に引っかかって高値で壺を競り落としたルド男爵だった。だがもう持ち手はないはずだ。それにルド男爵家はそれほど裕福なわけではない。ここいらが彼の限度だろう。
「二億七千万」
「………ッ」
悠然と上乗せすると、ルド男爵は苦しげに呻いて引き下がったが、他の客たちにはそれが反対に煽ることとなったらしく、アリアがさして興味を示さなかった買い手までが名乗りをあげ始めた。どんどん絵画の価値は上がっていく。こうなったらアリアの予測していた値段より更に行くことと間違いない。後はもう、放っておいても高値がつくだろう。
アリアは喧噪の中を立ち上がると、さっさと退散した。振り向きもせずにオークション会場から出ると、まっすぐ売り主席に直行して、兄の隣に座った。
「お兄さま、帰りましょう」
突然隣に座ったかと思うと、帰宅を急かし始めた妹に驚きながら一階の会場を見つめるが、喧噪はまだ続いている。上がり続ける値段がとうとう当初の予定を越えた。
「だけどアリア、なにも買ってない」
「お兄さま。わたしがここになにをしに来たかわかってらっしゃるの?」
「オークションをしにだろう」
ここはオークション会場なんだからと正当な理由を述べた兄は、一瞬で妹の愛らしい顔を支配した怒りに怯えて、席から腰を上げた。
「きょ…今日は売るだけだったのか」
「そうよ。現金は脅し。お兄さま、オークションには向いてらっしゃらないわね」
「アリア様、ウォークランド様!
またのお越しをお待ちしております」
「ええ。また、次の機会に」
受付を通り過ぎようとしたアリアを追いかけてオークション会場の支配人が飛んできたが、アリアはさらりとそれを流すと、待たせておいた車に乗り込んだ。運転席ではウェイがハンドルを握っている。
「ウェイ、お父さまとお母さま、今日は家にいらっしゃるわよね」
「はい、夕方お帰りになられたと聞きました」
「じゃあ家までお願い」
「かしこまりました」
音もなく、車が走り出す。
緩やかな運転であっという間に遠ざかっていくオークション会場を見ながら、アークは堅苦しく結んだネクタイを解いた。
「えっと―――オートリオル彫刻が五点が各五千二百万ずつ、アルカディアの壺が四千五百万、トランの雫が…いくらだったかしら」
「二千万です」
「そう、二千万」
ウェイがフォローして、アリアがその額を暗算していく。
ルルル、と運転席脇に備えられていた電話が鳴った。
「……お伝えする。では、………ああ、そうだ。……では」
短く対応して、ウェイが受話器を置いた。ほとんど遠心力など感じさせずに角を曲がった。
「『木漏れ日』が落札されたそうです」
「いくら」
「五億八千万でオズイット様が落札なされました」
「五億八千万……」
四億ほどで落とされるかと思っていたがめずらしく的が外れ、やがて六億まで上がったらしい絵画は、アリアのいた席から斜め前にいた老紳士の手に渡った。
腕を組んで、ふうん、と鼻を鳴らした。ウォートはあの絵画にそんな価値があったのかと感心するばかりだ。
「じゃあ合計…合計八億六千万ね」
「八億…」
はあ、とため息をつく。何故そんな高価なものが倉庫にあったのだろう。
「これだけあればいいわね。お兄さま、わたしね、いい航空会社知ってるの。わたしが大株主をやってるところなんだけど…そこで一機、航宙機を買いましょう。そうね、四人も乗れたらいいんじゃないかしら。一億五千万もあれば買えるでしょ」
「買えるだろうけど……」
小型ではあるが、一機くらいなら買えるだろう。
だがどうするのだと呟いたウォートにため息をついて、アリアはウェイを呼んだ。
「ちょっとスペース・カンパニー本社に寄って」
「かしこまりました」
短く言って角を曲がると、ウェイは少し後ろを向いた。道が混んでいるのだ。
「お急ぎでしょうか、アリア様」
「ええ」
「座席に深くお座りください。揺れます」
言ってアリアが座席に深く座ったのを見た瞬間、ウェイはアクセルを強く踏んで、ハンドルを大きく回した。引力に引かれて、ウォートがよろめく。
車は大通りを貫く細い一本通行の路地を暴走車のような早さで突っ切ると、また乱暴に角を曲がった。今度は予測できたのでウォートはよろけず、アリアは平然として座っている。
「燃料も往復分くらいなら詰め込んでおけるでしょうし…そうね、六人乗りサイズが丁度いいわね。値段も丁度いいし」
「でもアリア、俺は操縦免許持ってるから、六人乗りじゃなくてもいいんじゃ…」
軍に入隊したときに操縦免許を取らされたため、航宙機の操縦は出来る。だからシェルサーラに行くとしても、一人乗りで済む。
そんな無駄に広くなくても、とウォートが言うと、アリアは冷えた目で兄を見上げた。
「お兄さまって薄情。お嫁さんも見せてくれないの? それどころか孫も? お父さまもお母さまも、それこそ離してくれなくなるわ」
「でもまだ許してくれるかもわからないのに」
「許してもらう?
なにを甘いことを。お兄さま、お兄さまの人生は誰のものですの? お父さま、お母さま、それともわたし?」
「いや、俺のものだけど…」
だけど許してもらえるとは思えないと尻窄みに言うと、アリアは眉をしかめてかちんと歯を鳴らした。おおよそお嬢様らしいより先に、女の子らしくない。
「だったら!
しっかりなさいな。許してもらうんじゃありません。なにもお兄さまは悪いことなんかしてませんもの。だいたい、止める方がおかしいんですわ。止める権利など誰にも」
そこでアリアはぐいんと揺れ、前のめりになった。
「ないのよ」
言い捨てるとウェイが開けたドアから降り、スカートのひだを伸ばした。
大理石の看板に、『スペース・カンパニー本社』の彫り文字。
「今日落札で得たぶんは家に運んでおくように言っておいて」
「かしこまりました」
頭を下げたウェイを置いてアリアはウォートを後ろに優々と玄関をくぐると、受付に向かった。
「こんな時間にごめんなさい。フォルム会長を呼んでくださる?」
「会長は在室ですが…どちら様でしょう」
どう見ても十代の少女なのに会長を呼べとやたら偉そうなアリアに、露骨に受付嬢は怪しむ視線を投げながら、内線に手を伸ばした。指の先に警備室のボタン。
「アリアが来たと言えばわかりますわ。…そう会長は在室なのね。じゃあごめんなさい、会長には今から行くとだけ伝えておいて」
さっさと用件だけ言うと、アリアは兄を引き連れてトランスホールに向かった。その後ろで受付嬢が警備室に電話をかけて、
「今すぐ来て」と言った後、アリアの視線に気付いて愛想笑いを浮かべた。
にこりと笑み返してトランスホールに乗ったアリアは、台座にはまったボタンの、最上階を押した。音もなく浮遊感に包まれたかと思った次の瞬間、りん、と音が鳴って周りのシールドが外れた。どうやら着いたらしい。
アリアはトランスホールから降りて底からまっすぐ伸びた廊下を突っ切ると、突き当たりに立ちはだかった扉のナンバーキーをいとも簡単に開けた。
ウィン、と短い音がして開いた扉の向こうには、ひどく慌てた様子の社員と、早くしろと急かしているこの会社の会長があわただしい空気の中にいた。
「夜分遅くごめんなさい、ライン・フォルム会長」
喧噪を破るほどの大きさで言ったわけでもないのに社員と会長はぴたりと止まり、アリアの方を向くと、一斉に頭を下げた。
「よ、ようこそお越しくださいました、アリア様、ウォークランド様。どうぞ、おかけください」
秘書なのか、少しきつめの印象を与える女性が取り繕いながら頭を下げた。
「ありがとう」
悠然と社員の間を抜いて勧められたソファに腰を落とすと、アリアは周りを見渡した。ウォートはただ妹に従ってソファに座ったきり、なにが起きているのかあまり理解できていない。
「フォルム会長、お引っ越しでもなさるんですの?」
本当に引っ越しでもするのかと思うほど、掃除機だのモップだの、段ボールを抱えている社員だのがいる。指摘された会長が大声で下がれと怒鳴ると、皆それぞれ手に持ったものを持ったまま慌ただしく出ていった。
残った秘書と会長ははっとしたようにネクタイをきつく締めたり髪型を整えたりしながらアリアの正面に座った。
「ようこそお越しくださいました、アリア様。今日はどの様なご用件で」
ひどく媚びへつらった様子で、もみ手でもしかねないようなライン・フォルムという名のこの男はあまり品のない笑いを浮かべた。大会社の会長にしては威厳も迫力もカリスマ性もない、下劣な男にしか見えないのはどうだろうか。
アリアはこの大会社の大株主になる前からフォルムが嫌いだったのだが、そんなことはお首にも出さず、優雅に笑んだ。
「航宙機を売って欲しいんですの。燃費のいい小型機を」
「は、航宙機を…ですか」
また株のことや経営方針のことで出しゃばりに来たのかとばかり思っていたフォルムは意外なことを言われて口が少し開いたが、すぐに後ろに控えた有能な秘書を振り返った。
「最新型航宙機のパンフレットを」
「はい」
秘書はすぐに持ってくると、広げてフォルムに渡した。
「何人乗りサイズがご希望でしょうか」
「六人サイズが欲しいんですの。ワープ機能は要りませんから、ホーム完備にしてくださいます?」
「ホーム完備ですか」
「ええ。あと、プール付きだと尚よろしいですわ」
普通ならワープ機能付きじゃないと買わないのだが、アリアはそれは必要なく、ただそこで一ヶ月くらい住めるような機能は必要だと思った。大型機なら酔わないように、それ相応の装置が付いているのだが、小型機となるとウォートやアークのように訓練を受けた者でないと、ひどく酔う。吐くだけならまだしも、失神してしまう人もいるくらいだ。だからもし澪や雫が乗るのならということを考えたら、ワープ装置はむしろ邪魔で、機内で生活できる機能が必要だった。そしてプールは人魚だという澪のためのものだ。
めずらしい注文を付けた大株主に不審な目を向けながらパンフレットをめくると、フォルムはしばらくして首を振った。
「六人乗りの小型ならありますが…ホーム完備は大型機でないとありませんな。プールとなりますと母艦機でなければ…」
「ありませんの」
「いや、大型機もしくは母艦機のものはありますが…」
「ないんでしたらいいですわ。他を当たります」
引きすがろうとするフォルムを見もせずにアリアは立ち上がると、持っていた小さなバッグからペン型の小さな携帯電話を出した。ペン先で2、と書くと、ルルルルル、と呼び出し音が鳴ったが、少しも鳴らない内に受話器は取られた。
『はい』
「表に車を回して。スカイウォーカー社に行くわ」
「お待ちください!」
どうやら本気で社を去ろうとしているアリアに慌てふためいて大声を出すと、会長は悲愴な顔でまくし立てた。
アリアは幼いながら大株主で、彼女の後ろ盾をもし失くすようなことがあれば、会社が傾きかねない。
「お急ぎなら、今週中にお届けしましょう。六人乗り、燃費のいい、ホーム完備、プール装備の最新型を」
「おいくらです?」
「三億…いいえ、二億で」
羽振りのいいときは多額の寄付をしてくれる大株主を逃すのと一億自腹を切るのでは、どう考えても一億損した方がいい。それほど彼女はこの会社の実権を握っていた。
アリアはにこりと笑むと、脇に座ったままの兄を仰いだ。
「一億ですってお兄さま。よろしいんじゃありません?」
よろしいもなにも、無いのを無理に作ってもらい、更に一億も値引きしてもらって首を横に振ることは出来ない。
「あ、ああ」
ようやく声を絞り出したウォートにあからさまな安堵の息を吐いて、フォルムは秘書から契約書を受け取った。
「ではこちらに御名前を」
言われて手を伸ばしたウォートだったが、妹に先を越されてしまい、止める間もなくアリアは署名の欄にアリア・ブライゼータと書いた。
「代金はあとで届けさせますわ」
「はい、ありがとうございます」
油だか整髪剤だかわからないが、薄い髪をなで上げた頭を下げて契約書を恭しく受け取ると、フォルムはディナーでも行きませんかとアリアを誘った。大方、株をもう少し買って欲しいとか、今度から着手する新型のトランスホールの開発にかかる費用をいくらか寄付して欲しいとか、そういうことを話したいのだろう。
だがアリアは首を横に振った。
「ごめんなさい、今日は両親との約束がありますの。また今度、誘ってくださいな」
用事が済んだらさっさと退散とでも思っているのか、アリアは軽く会釈すると立ち上がった。
「今度来社なさるときは、ご一報下さいませ。迎えの者を寄越します」
「ええ」
では、とアリアは振り返りもせずに颯爽と会長室を出ると、トランスホールまで着いてきた会長と秘書に一礼して、ボタンを押した。りん、とシールドがしまって浮遊感。
次の瞬間にはまたシールドが開いて、アリアとウォートは一階にいた。二人がトランスホールから降りるなりそこいらにいた社員が路を作り、一斉に頭を下げる。
「またのお越しをお待ちしております」
旅館かホテルかしらと冷たい調子で呟きながらも顔からは笑みを崩さず、アリアは待たせてあったウェイの運転する車に乗り込んだ。
「スカイウォーカー社へはどういたしましょう」
「家にそのまままっすぐ帰るわ。どのくらいかかる?」
ウェイは車外を見て、そうですね、と呟いた。
「三十分ほどです。お急ぎですか」
「急がなくていいわ」
車が走り出す。アリアは闇の中に浮かび上がる摩天楼を横目で眺めながら、座席に深く座った。
「お兄さま、ねえ、三十分もかかるんですって。質問はもう三つしたけど、最後の質問には答えてもらってないわよね?」
「…あ、ああ…」
「もう決まってるわよね、聞かせて、お兄さま」
甘えられても、前の席にはウェイがいるのだ。彼はアリアの筆頭秘書であるが、いつの間にか家に来ていた。誰も彼の出生や出身、身分がわからないのだが、彼以外にアリアの世話をさせてここまで満足させることは出来ない。
ウォートはいつもどう接したらいいのかわからず、結局は今の今まで会話らしい会話をしたことがないので、どういう人間かわからないのが現状だ。肌は斑に褐色で鼻はごつく曲がった鷲鼻、無口な薄い唇にいつも伏せがちな目に、下膨れの頬、突き出た額と、酷く見目の悪い顔なのだが、声に聞き覚えがある気がする。だがどうしても思い出せなく、それとなくアリアに聞いてみても、プライベートですわの一言で終わらされてしまい、未だにわからないでいる。
ウォートの杞憂を察したのか、アリアの後ろの運転席からカーテンが伸びて、後部座席と運転席は完全にシャットアウトとなった。
「さ、話して」
「…ウェイ殿は優秀な秘書殿だね、アリア…」
あまりの有能ぶりに頭が下がる思いをしながら、ウォートは前屈みになって膝に肘を乗せて手を組んだ。
「今でも、好きよね」
「好きだよ」
即答した。
ここまで来て言い淀むほど、ウォートは馬鹿ではない。
大体、今さらアリアに恥ずかしがって言えないのでは、その気持ちは偽りでしかない。
「誰より好きだ。でも誰よりも嫌いだ」
「どうして?」
「澪のことになると俺は臆病になる。なにも…出来なくなる」
嫌われてしまうのが怖くて、すれ違うのが恐ろしくて、臆病になって、いつしか動けなくなってしまう。気付けば逃げ出してしまうほどに。
金や地位や生まれなどなにもなくなった裸の自分ははたして釣り合うのかと、なにに対しても対比してしまう自分を見つけてしまい、そしてなにもできなくなる。
澪、ただ一人を前にしてしまったら。
「だから…好きなんだ」
「ふうん。それがお兄さまの答えなのね。お兄さま、澪さんより大切なものはある?」
首を横に振る。
「お金は?」
「いらない」
「地位は? あっちに行ったらお兄さまはもう大佐でもないし、ブライゼータ家の人間だと言っても通じないわ。それでもいいの?」
「いらない。地位だけが俺の持ち物じゃない」
「家族は?」
勢い、要らないと言いそうになってとどまり、ウォートは首を振った。
「いらないわけがない、大切だ。………アリア、俺を虐めてないか」
非難がましい目で見るとアリアはころころと笑った。
角を曲がると車はいったん止まり、またすぐ走り出した。ウォートが窓の外を見ると、気付けば流れる景色は実家の庭のものだ。
「アリア様、着きました」
声と共にゆっくりと後部座席のドアが開く。
「ありがとう」
アリアとウォートが降りるとドアはぱたりと閉まり、車は音もなく駐車場へと消えていった。
二人は降りてきた執事の開けた扉から入ると、馬鹿みたいに広い家を突っ切って、まっすぐ両親のいるリビングへと向かった。
「あらアリア、ウォート、お帰りなさい」
リビングでは両親がめずらしく揃ってくつろいでいた。アリアはにこりと笑って「ただいま帰りました」と言うと、ソファに座った。続いてウォートも
「帰りました」というと、母親はアリアとは似ない顔で笑って、二人で出かけていたの?
と問うた。アリアはどちらかというと父親似だ。
「ええ。今日はお兄さまが要らないものを売りたいからって言うからわたしも着いていったの」
「アリアはなにか競り落としたの?」
「なにも。でもねお母さま、お兄さま、出品したものが八億六千万で売れましたのよ。それで小型の航宙機を買ってきましたの」
さらりとなんでもないことのように言った娘に相も変わらず笑ったまま母親はウォートは楽しかったと聞いた。もう立派な役職について何年も経つというのに、母親にとって子供はいつまでも子供らしい。
「はい。アリアが株主をおさめている会社にも行って来ましたし…いい航宙機も買えました」
「そう。でも航宙機なんてどうしたの、突然」
「お母さま、お兄さまね、お嫁さんもらうんですって」
「そう、よかったわ……お嫁さん?」
笑っていた母はとたんに不思議そうに我に返ってどうして、と呟いた。傍らで話を聞きながら本を読んでいた父親も顔をあげる。
「ウォート、どういうことだ」
普段は寡黙な父親が低い声を出した。
「父さん、俺、結婚したい人がいるんです」
いつまでも妹の世話になっていたのでは男としても兄としても成り立たない。
体を心持ち前屈みにして父親と正面から向き合ったウォートは、ぎり、と強く奥歯を噛んだ。
今の今まで父の期待を裏切ったことは一度として無く、世話のかからない眉目秀麗な長男で通してきたウォートだ。当然のように、父親に逆らったこともなく、怒られたことすらない。
初めて怒られ、もしかしなくとも殴打の一発でももらうことを覚悟して、ウォートは口を開いた。
「サラ・フランク嬢との婚約もありますが…俺には出来ません。自分の気持ちに嘘はつきたくない」
「相手は誰だ」
「……澪といいます。澪・フラルーエ」
「どこの令嬢だ」
「シェルサーラに住むジンギョ族です」
そのとたん、両親の目が大きくなった。これほどまでに父親の目が開かれるのを見たのは半年前、アークが家を出ると言ったときだった。
父親は、ジンギョ族と聞かされてもピンと来ないのだろう。だがシェルサーラは知っている。アークも同じことを言ったからだ。
父親の手が上がった。
殴られると思わず目を閉じ、歯を食いしばった瞬間、アリアの大声が轟いた。
「お父さま!!」
一瞬そこにいた誰もがびくりとし、動きが止まった。
静寂の中でアリアは平然と紅茶を飲み干すと、割るほどの勢いでカップを置いた。
「人魚姫は波の中で王子様を見つけました。王子様に一目惚れした人魚姫は、人間になるために、声と引き替えに足をもらいました。だけど王子様は人魚姫に気付かず、人魚姫はもとの姿に戻るために王子様の胸にナイフを刺せと、ほかの人魚に言われました」
突然なにを言うのかと周りが目をむく中、アリアは淡々と続ける。
「でも人魚姫はとても優しかった。王子様が死ぬのなら、わたしが死んだ方がいいと、人魚姫はナイフを海に投げ捨てた。そして海にその身を投げ、泡となって消えた」
短絡的に人魚姫の話を語ると、アリアはにこりと笑って父親を仰いだ。
「人魚姫という童話ですわ。大昔から語り継がれる悲恋物語です。知っていて?」
「知っているとも、おまえが小さい頃に何度も本を読んだだろう」
娘の奇行に苛つきながらも律儀に応えて父親はどうにか落ち着こうとしているのか、冷えかけた紅茶を飲み干した。
「わたし、思いますの」
「なにがだ」
「人魚姫は、他のお姫さまさえいなければ、もしくは王子様さえ気付けば死なずに幸せになれたのよ」
「そりゃあそうだろう」
だがもしそれらのことがなければ、神話の昔から語り継がれる悲恋劇は伝えられなかったに違いない。
ため息と共に言葉を吐き出した父親は、次男に続いて長男、こともあろうに次女までおかしくなったかと呟いた。
「お父さまはどう思います?
気付かなかった王子と、邪魔をしたお姫さまについて」
「どう思うもなにも、アリア、この話は今は関係ないだろう。後で聞いてあげるから、おまえは部屋を出ていなさい」
「関係ない?
ありますわ。お父さまは人魚姫を殺してしまうおつもりですもの」
平然と言ったアリアの言葉がわからなかったのか、父親は眉根を寄せた。
「なにを、アリア」
「お父さまは人魚姫がどんな気持ちで王子様を殺さなかったか、わかりませんのね。澪さんは人魚姫ですわ。お兄さまを苦しませたくないから、諦めたんですのよ。わたし、お兄さまにお話ししていただきましたもの。二人はとても愛し合っています。誰も邪魔することなんて出来ませんわ。お父さまでさえも」
思わずウォートでさえ赤面してしまうようなことを早口でまくし立てると、アリアはふん、と鼻を鳴らした。
「お兄さまもなにかお言いなさい!」
「あ、あ、すまない」
諫められて背筋を伸ばし、ウォートは呆然としている父親を見つめた。
将来が有望視されている娘が突然メルヘンなことを言い始めたものだから、もう呆然とするしかないのか、口が半分開いている。
「父さん!」
はっとして、口を閉め、父親は厳しい表情を取り戻した。
「俺、軍辞めて、シェルサーラで住みます。あっちで生きます」
「ウォート! おまえはブライゼータ家の跡取りなんだ。アークが許されたからと言って、おまえまで行かせるわけにはいかない」
「そうよウォート、あなたがいなくなったら我が家の家督はどうするの。アークも行ってしまったのよ、あなたまでいなくなったら、誰が…」
「クリフがいるでしょう! 三男坊が!!」
家督がどうだのくだらないと怒鳴り捨てると、アリアは憤然と切り捨てた。もう父も兄も関係ない。
「お父さまは子供をなんだと思ってるんです! お兄さまは家督を継ぐ気はないと言ってるんです。継ぐ気のない人間より、継ぐ気のある人間に継がせなさい! 大体なんなんです、男子には継ぐ権利があって、女子にはないとでも!? 古臭すぎますわ。どっちが継ごうと子供つくりゃあ結局は他の血が混ざるのなんて五歳のガキでも知ってますわ。混ざるのが嫌なら血縁同士でくっついたらいいのよ!」
「アリア!」
父親が怒鳴ったが、喋りだしたアリアは止まらない。下品な言葉も次々と飛び出してくる。
「そんっなに家督継ぐ人間が欲しかったら、わたし、ウェイとくっつきますわ! それでいくらでもぼこぼこ子供生んで差し上げますわ! ええそれこそねずみ算式にね!」
「あっ、アリア!?」
なぜか突然アリアの恋話まで出てきて、もう大変だ。母親は目頭を押さえてしくしくと泣き出し、父親の額には血管が浮き出した。ウォートも混乱してきた。
「ウェイ、ウェイはどこ!?」
リビングを飛び出すなり自分に仕えている筆頭秘書の名を大声で呼び、アリアは数分も経たないうちに、駐車場で車を磨いていたウェイの袖を引っ張ってやってきた。突然主に袖をつかまれ、用件も言われずに引っ張ってこられたウェイは戸惑った顔をしていたが、仕える主の父親の姿を見たとたん、表情を引っ込めた。
「ウェイ!」
「はい」
名を呼ばれて生真面目に返事をしたウェイは、まだアリアがしようとしていることに気付かない。誰も、気付かない。
アリアは深く息を吸うと、片手でウェイの袖をつかみ、片手を腰に当てると、ふんと鼻息荒く口を開いた。
飛び出してきたのは、機関銃並みの言葉。
「わたしたち、婚約いたしますわ!!」
一瞬、誰もが耳を疑った。もちろん部下からは密かにオペラ座の怪人と呼ばれているウェイもだ。
母親の泣く声がやみ、父親の口が全開になった。
「アリアっ」
「なんですの、お父さま」
「おまえ、誰と婚約するだって?」
「ウェイよ。ウェイ・ブラド」
フルネームで呼ばれたウェイの腕が一瞬震えたが、アリアは無視をした。
「その男はおまえの秘書だろう。第一おまえの婚約者はウェイロン・オズイット殿だ。他の男との婚約など、許さないぞ!!」
娘をどこの馬の骨とも知れぬ男に嫁がせられるかと怒鳴った父親だが、アリアにはそんなことといった程度であったらしく、そんなもの、と一蹴した。
ウェイは拳を握り、その場に立ちつくしている。
「ウェイ、いいわよね?」
「…………アリア様がよいのでしたら、そのように」
「ありがとう」
絞り出すような声に短いながらも最高級の礼を述べると、アリアはごめんなさい、と小さな声で呟いた。
長身をかがめ、ウェイが片膝をつく。顔をあげると、シャンデリアの灯りに見目の悪い顔が浮かび上がるように見えたが、ウェイはかまわずアリアにその顔を向けた。
べりっと、布を裂くとも皮膚を裂くともつかない音がした。
ひっと母親が短く悲鳴をあげ、手の平で口元をおおった。
アリアは無表情でウェイの顔の皮を剥がしていくと、最後に目元の皮膚を剥ぎ取った。
「ウェイロン!」
叫んだのは、ウォートだった。
幼い頃に見た穏やかな面影を残した好青年がそこにいた。
確か彼は自分よりも年上で、だがいまそこにいる妹の婚約者だったと認識している。
青年は苦笑いを浮かべた後、まだ頬に残っていた、焦げ茶の皮膚の一部を剥がした。
父親と母親は目を見開いている。
「この姿ではお久しぶりです、ブライゼータ候」
「ウェイロン・オズイット殿……」
手を差し伸べたウェイの手をつかみ、呆然としたまま握手をすると、父親はテーブルに重ねられた皮膚と、青年を交互に見た。
四年前に突然失踪した、オズイット伯爵家の双子のうちの次男だ。双子の兄との家督問題で、兄の派閥と自分の派閥が事あるごとにぶつかり合うのに耐えきれず失踪したと、その時の報道では伝えられていた。その後、オズイット家の家督は残った兄の方が継いだらしいが、間もなく病で倒れて逝った。今ではアークと同い年の三男が家督を継いでいるはずだ。
「長い間欺くようなことを続け、御息女にご協力いただいたことを感謝しています。それで…その、御息女の…アリア嬢との婚約のことですが」
「お父さま、わたしたち、許嫁ですもの。結婚して当たり前ですわ」
言いにくそうなウェイを遮って言うと、アリアはそうよねっ、とウェイを見上げた。
「アリア、僕が言うよ」
「でもウェイ」
「いいから」
アリアを黙らせることの人間がいるのだと心底感心しながら、四年ぶりに見た幼なじみを見る。
ウェイは幼い頃の面影が残る顔で少し笑んだ。
「ブライゼータ候、僕にはもう、家督相続権はありません。もうオズイット家の人間ですらないかも知れません。だからアリアと僕が婚約しても、オズイット家との血縁関係にはなれないと思います。ですが、アリアをオズイット家に嫁がせなくてもかまわないんです。そちらがよければ、僕がこの家に入ります」
「ウェイ!」
さすがのアリアもそこまでは聞かされていなかったのか、信じられないといった顔でウェイを見上げると、自分より十も年上の許嫁に抱きついた。
この時代、家督相続だ血縁だと古い時代から続いてきた血生臭く人間性を無視した政略結婚が数多く行われている中、自ら家督を放り捨てるものは少なく、ましてや婿入りするものなど皆無だ。
そんな中、家督を継ぐための争いを厭い、十も下の許嫁のために婿に入る男などウェイぐらいのものだろう。
ウェイは年下の許嫁の体を抱き留めると、ウォートの方を向いた。
「僕はアリアのためなら家も地位も要らない。アリアが、アリアだけが愛してくれる僕だけあればいい。君だって、そうだろう?」
アリアから話を聞いたのだろう。
穏やかに問われて思わずウォートは頷いていた。
「いらない」
同じことをアリアにも問われたと思いながら、ウォートは立ち上がった。
突然の長男の家督相続権放棄と移住宣言、次女の婚約宣言と秘書の身元判明に多大なショックを受けた父親は、頭を抱えている。
父親を見下ろして、ウォートは一言だけ、言った。
「俺は澪と一緒になります」
それは宣言でも確認でもなく、決意だった。
ウェイとアリアだけが、その決意に拍手を贈った。
----------
top ■ next