Robinson's cherry 11













 






 アークが発ってから二ヶ月、第五艦隊母艦ケルビムは故障を完璧に直すためメンテナンスに回され、隊員たちは解散して他の隊にまわされる人事異動が行われていた。
 上に提出しなければいけない報告書を実家の自室で作成していたウォートは、水を持ってくるようにと言った女官がなかなか来ないのをおかしく思い、どうかしたのかと聞きに行こうと椅子から立ち上がりかけたところで、扉の方に、四人いる妹のうち二番目で、現在十三歳のアリアが水差しとグラスののったトレイと小さなカゴを持って立っているのに気付いた。アリアはようやく顔をあげて自分に気付いてくれた長兄に怒った顔をして近寄ると、グラスを割ってしまうほどの勢いで机に置き、水をいれた。
「アリア。どうかしたの」
「わたしがお兄さまに水を差し上げてはいけないんですのッ?
 妹が来ても気付かないなんて、お兄さまはわたしのことなんてどうでもいいんですのね」
 なんだかひどく怒っている様子の妹に押されながら、ウォートは脇の台座の書類をかき集めて、机に積み立てた。
「いや、そうじゃないが…」
「どうぞ、お兄さまっ」
「あ…ありがとう」
 コップを受け取った兄が、なみなみと注がれて今にもあふれそうな水に注意して口を寄せると、アリアは普段は机に乗りきらない書類を山積みにしておく台座の上に腰をおろした。両親や教育係に見られたら怒られそうだが、長兄がそれほど行儀に厳しくないのを知っている彼女は、細い脚をぶらぶらと前後に揺らした。
 なんとかこぼさずに水を飲んだウォートが手の甲で口を拭うと、アリアは足を揺らすのをやめて兄を仰いだ。
「お兄さま、今暇?」
「仕事中だけど…」
「お話ししましょ。ね、おやすみもたまには必要ですわ」
 妹は無理矢理兄を椅子から立たせると、手を引っ張ってテラスのチェアに座らせた。自分も向かいに座ると、かごの中のクッキーを一つ囓って、肘をつく。この妹は両親の前では淑女のように振る舞っているが、兄の前では素を見せる。
「で、なんの話を?
 姫君」
「お兄さまの恋人の話、訊かせてくださいませ」
「は?」
 あまりに突拍子のないことを妹が言ったものだから、すすめられたクッキーをぼろっと落としてしまいながら、ウォートは目を見開いた。落とされたクッキーはテーブルにあたって割れた。
「せっかく焼いたクッキーを落としましたわね、お兄さま」
 ぷりぷり怒りながら、姫君は細工の施されたテーブルに落ちたクッキーを食べた。兄は何故そんなことを知っているかと思案を巡らせるのに忙しく、妹の様子を見ず、ただ呆然としている。きっと出所は第五艦隊だろうと、結果が脳裏に出る。
「どうしたの、みんな知ってるわ。お兄さまにあっちの星で恋人がいらっしゃったことくらい。アークお兄さまが言ってらしたもの。兄貴にはすごい美人の彼女がいたって。それこそリンダより」
 リンダは最先端のCGや音声技術を駆使して作ったバーチャルシンガーだ。彼女の出演する番組の流れる星系の中では一番の美人だと言われている。
 それにしても、第五艦隊隊員ではなくアークが触れ回っていたとまでは知らなかった。
 もしや、そのせいか。アークが発った後、母が執拗にあなたは行ったりしないわよね、と何度も訊いてきたのは。
 アリアはそんな兄の心情など知るよしもなく、大きな目を輝かせてうふふ、と笑った。
「わたし誰にも言いませんわ。リリスお姉さまにも、お母さまにも。あ、もちろん、お父さまにも。だから、ねえ」
 こういう恋愛話を聞きたがる年頃だというのはわかるが、リリスはともかく、両親に知れ渡ってしまったら一大事だ。母は今度こそ心労で入院しかねない。
 難しい顔をして黙り込んでしまった兄の事情を、しかし聡い妹はわかっているのか、立ち上がって部屋の扉を閉めると更に開けっ放しのテラスの窓を閉めて、テラスの柵から身を乗り出して下を覗き、誰もいないことをきちんと確認した。
「本当に誰にも言わないわ。わたしだけの記憶に残して、絶対に他言なんてしない。だからお願い、お兄さま」
 どうしてもと頼み込む妹にため息を吐いて、ウォートはじゃあ、と口を開いた。アリアは目を輝かせて身を乗り出す。
「アリア、誰にも言わないね?」
「言わないわ」
「約束を破ったらワイズ先生に頼んで一週間宇宙史の勉強だけにしてもらうよ」
 ワイズ先生はブライゼータ家の子供たちの教育係兼家庭教師だ。幼い頃はウォートもアークもいろいろとお世話になったが、とても厳しく、しかも宇宙史となるとやたら意気込むのだ。
「…いいわ」
 少し怯んだが好奇心の方が勝ったらしく、アリアはすぐに笑んだ。
「じゃあいいよ。だけど、質問は三つまでだ。それいじょうはしゃべらないよ。さあ、なにが聞きたい?」
 そこまで聞きたいのなら聞かせてやろうとウォートが開き直ると、アリアはやったと叫び、立ち上がった。
「お兄さま、少し待ってて。わたしお茶持ってくるわ」
 喜びながら部屋を出ていく妹の後ろ姿を見ながら、ウォートは澪のことを思い出して、少し目を閉じた。








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アリアちゃん、これから大活躍ですよ。


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