Robinson's cherry
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「ブライゼータ中佐」
 後ろから声をかけられて、ウォートは思わず大声を上げそうになり、なんとか己の口をふさいだ。
 振り向いて見開いた視線の先に、部下。
「何処に行かれるんですか?」
 からかうような笑みを浮かべていたのは部下で、数年来の友人でもあるクライフ・エルダー少佐だった。狩りに行ってきた帰りなのか、肩に耳を草の紐で結んだ兎を五羽と、鹿の腸をこよって作った弦のついた弓と矢を持っていた。その反対の手には、馬の手綱が握られている。
 この楽園に墜落したウォートたちは、ホームステイのようなかたちで家に住まわせてもらっているお返しにと、頼まれたことをこなしている。もともとほとんどが体を強靱に作られた武官ぞろいだ。今では慣れたもので、薪割りから水汲み、狩りまでこなす。
 手綱を引いて馬の鼻面を撫でながら、クライフはどさりと兎をおろした。
「今日の仕事は?」
「薪割りと狩りなら終わった」
「シュタインさんところの鮎さんの糸紡ぎの手伝いは」
「…終わったよ」
 延々話をしながらのゆったりとした糸紡ぎの手伝いはついさっき終えた。この星の住人は見た目二十歳ほどで老化が止まるため、どの顔も若い。それを知らなかったウォートは鮎を二十歳前ほどと思っていた。そのため、実年齢を教えられたとき、一瞬冗談を言われているのだろうかと思ったが、翼の大きさで年齢がわかると言われ、納得した(鮎は彼の祖母よりいくつか上だった)。
「ふうん…。で、何処に行くんだ?」
 いたずらにクライフが首を傾げる。―――わかっているくせに。
 この頃、昼が過ぎると仕事を手早く片づけて集落から出ていくウォートを、クライフは知っているのだ。
「その…リンチュエイに」
 嘘は言っていない。街のはずれだが、リンチュエイにある砂浜に行くのだ。
 砂浜でしどけなく横たわって、ウォートを待っているはずの、ジンギョ族との約束を守るために。
 やましいことを口ごもりながら言ったウォートを笑って、クライフはそうですか、と隣を通っていった。
「日暮れまでには帰ってこないと、弟君が心配するぞ」
「わかってる」
 馬に飛び乗ったウォートは、クライフに見送られて、集落を出た。
 集落を出てると、人が歩いて歩いてやがて出来た道が平坦に続いている。
 道に沿って馬を走らせ、二股に分かれた道を左に曲がる。
 ウォートやアークたちが滞在していて雫が住んでいる集落とリンチュエイは、馬を走らせて一時間かかるほど離れている。だから往復するとどうしてもそれだけで二時間を費やしてしまうのだ。だから本当なら仕事をもう少し引き受けたり、文字を教えてもらっているので、この星の本などを読みたいところなのだが、気付けば時間に間に合うようにと急いでしまって、時間になれば借りた馬に鞍をつけて準備を始めている。
 道に沿いながら草原を突っ切っていく。大きく迂回した道を沿っていくと時間がかかるので、昨日目印にと置いた大きな二つ三つの大きな岩から道を離れ、土の上ではなく草の上を走っていく。ここをまっすぐ走れば十分ほど早く着くのだ。
 しばらく行くと、一本の木が見えた。草原には小さな森があったり湖があったりするので別に驚きはしないが、昨日通ったときは急いでいたので別段見もしなかったのだが、近づいてみると、小さな実がいくつもなっているのが見えた。
 馬を寄せて一つ穫ると、強くつかんでしまったせいか、実が少しつぶれて赤い汁が指を濡らした。
 あまり無防備にそこいらにある実を穫って口にしたりしないようにと言われてはいるが、枝にとまっている小鳥がついばんでいるのだ、大丈夫だろう。
 指をひとなめして、実を口に放り込む。
「――――――ッ」
 甘さが口に広がったかと思ったら、酸っぱさが来た。
 目を瞑って酸っぱさをやり過ごすと、後味のいい甘さが舌に残っていた。
 もう一つ穫って口に入れながら、方位磁石を入れておく袋から方位磁石を取りだしてポケットに入れると、空いた袋の中に実を潰してしまわないようにいれていく。
 いくつか落としてしまいながら袋に詰めると口を紐で結んで腰布の紐に結びつける。澪に食べさせたら喜ぶだろうか。
 口に一つ放って、馬に手綱を喰らわせる。
 このまままっすぐ行って見えてくるはずの道を辿れば、すぐにリンチュエイの街だ。だが街を抜けて行くよりは砂浜に向けて行った方が近い。街の門に続く道ではなく、港の門に続く道に行くと、とりあえずのように立っている番兵に頭を下げて、馬を降りる。
 休航中ではないので、入港してくる船を迎える人々や、運航されてきた荷物を運ぶ荷車を引く人々、出航していく船を見送る人も多くいる。それに運ばれてきた果物や魚を売るために市場を開いているので、余計にざわざわと騒がしく活気がある。
 軒を出した果物屋の店先に、箱に入れられたまま並べられた果物を見た。
 途中に自生していた樹になったものより、こういう風に艶のいい林檎とかを買っていった方がいいのだろうかと思いながら港を横切り、倉庫が建ち並ぶ倉庫街を抜ける。さすがにここまで来ると、荷車を引く人間しか居ないため、騒々しさはないが、在庫がどうだの出荷がどうだのと叫ぶ声は聞こえる。
 馬を引きながら倉庫街も抜けると、少し歩いた小さな道が、階段状の岩になっている。馬に蹴られないように降りて革靴を脱いで靴紐同士を結んで馬にかける。
 砂に自生する樹に手綱を結んでいると、その向こうに、今ではもう見慣れた白金が漂流物のように砂に這っているのが見えた。岩陰に寝そべっているのに、長い髪は影から出てしまって、陽光にあたっている。
 逃げられないようにきちんと結んだのを確認すると、馬にかけていた袋から布を取りだして右手に持ち、腰布をはずして下にはいた二股の下布を膝までまくって金の輝きに向かって歩き出す。
 さくさくと砂に沈みながらウォートが澪のそばに立つと、起きていたのか、顔をあげてウォートを仰いだ。
 頬に張りついた、一粒一粒は星のかたちをした砂がぱらぱらと落ちてもとの砂地に戻っていく。
 澪は海の中ではほぼ全裸(下半身は魚だが)で泳いでいる。さすがに他のジンギョ族は陸に出るときは衣服を着るらしいが、澪は何故かいつも裸のまま砂に横たわっている。前に何故かと聞くと、陸に上がると張りついて気持ち悪いからとの返答が来た。
 起こした白いからだに持ってきた布をかける。淡い水色の腰布とキャミソール。腰布は雫が織ってくれたもので、キャミソールはあの鮎が昔着ていたのをもらったものだ。この星では色や柄の流行はあるようだが、服装についての流行はさしあたって見られない。どの街へ行っても、どの村を訪れても、上着は夏ならキャミソールかシャツ、冬は毛糸のセーターやトレーナーで、下は大抵が腰布だ。雄性種の場合はズボンの上に腰布を付けていることが多いため、最初はギャルソンのようだとウォートは思っていた。
 すらりとした華奢なからだによく似合うキャミソールを着て腰布をまくと、澪は乱れた髪を掻き上げた。さらさらと風に吹かれて金糸が指の間をこぼれる。
「まだ砂ついてる」
 頬の一角についたままの砂をはらうと、澪は薄く笑った。
 手が頬から離れると、澪は岩にもたれて、小さな頭を隣に座ったウォートの肩に落とす。
 波が押し寄せてきて、砂に曖昧な紋様を描いて引いていく。
 尽きることなく繰り返すその様を眺めながら、風にさらわれては散っていく金糸を指ですくう。
 二人でこうやって砂浜にいても、別段目立って何をするわけでもない。手をつないで笑い合うこともないし、何かについて話し合うことも、ましてやくちびるを合わせたり、抱き合ったり、互いの肌を合わせたりすることもない。ただ、過ぎる時間を一緒に過ごすだけだ。
 他人が見れば、することがないんだったら逢わない方がいいんじゃないかと異議を唱えるだろう。時間を割いてまで逢う必要があるのかと。
 だが、別にやることなど特別に必要ないし、自分が自由にできる時間を自分の意志で割くことが、なんだというのだろう。
 隣に座っているだけで、なんとなく安らぐというのか、自然体でいられる。雰囲気が、とても心地よいのだ。あまりに心地よすぎて、すわったまま二人で眠ってしまうこともあるが、それはそれでいいのだ。
 風が心地よいと思いながら触れあいそうな指のほのかな温度を感じてふと目線をさげたウォートは、その先に袋を見つけて、からだを動かした。
「澪」
 名前を呼ぶと、眠りそうな、とろりとした目で見上げてくる。
「貝殻落ちてないか?」
「貝殻…」
 袋をの口をほどきながら周りを見渡していると、澪がはい、と手の平大の貝殻を差し出した。袋を砂に置いて貝殻を波で軽く濯ぐと、それを上着の裾でふいて、澪に持たせる。
 澪は陸を歩かないので、木の実類はあまり食べる機会がない。前に林檎を一つ持っていったら、あっという間にひとりで食べてしまったところを見ると、果物系は嫌いではないらしい。
「なに?」
 手の平に置かれた貝に袋の中身をこぼす。
 白い貝の皿を、赤い実が埋め尽くしていく。
 いくつかこぼれた実についた砂をはらうと、澪のくちに運んだ。
 実と同じような色のくちびるが、キスをするように木の実に触れて、含んだ。
「ん」
 小さく口を動かして、軽く眉をしかめる。
「酸っぱいだろ」
 頷いて、咀嚼すると、澪はあげたまま目の前にあったウォートの手をつかんだ。
 赤い舌先が、実の汁で濡れた指先をぺろりと舐めた。
「―――あまい」
「もっと食べる?」
 指先がくすぐったくて手を引くと、澪はこくりと頷いて、口を小さく開いた。
 自覚がないのか、澪は恥ずかしがったりすることなく自然に甘えてくる。
 こうやって無防備に口を開いて催促するとき。
 砂に寝そべっていると、脇に転がってきて身を丸くする仕草。
 ひらひらと腰布が風にまくれているのにかまいもせず、よろけながら走って抱きついてくるとき。
 ふいの笑顔。
 澪は甘えているとは思っていないだろう。だが、男のウォートから見れば甘えられているようにしか見えないし、可愛いと思う。たとえ性がまだ無く、未分化であってもだ。あまりに無邪気で、色で例えるなら目も眩むような白。そんな風に無垢で、罪だ。
 貝殻にのった実を一つ取って口に運んでやると、甘く含んで、また眉をしかめる。
「美味しい?」
「ん…」
 こくん、と細い喉が上下してまた口を開く。
 汁に濡れて光る淡い色のくちびるに吸い付きたくなる衝動に駆られながら、ひとつひとつ口に含ませる。
 何度も同じことを繰り返しているうちに、やがて貝殻の実が無くなった。
 最後の一つをつまみ上げて口に含ませようとすると、澪が手を伸ばした。
 細い指がウォートから実を取り上げる。
 白い指からぶら下がった赤い実が、ウォートのくちびるに押しつけられた。
 つぶれた音がして、閉じかけた口の中に汁が流れ込む。
「甘いな――――」
 言いながら澪の手首をつかむ。一回りでつかみきれてしまう細い手首を引き寄せて、指まで口に含んだ。
 腹の底から沸き上がってくるような、猛々しいなにかが、この白い指先を強く噛んで、血をにじませてみたいと呻いたが、理性には負けた。甘く噛んで、小さな痛みだけを与える。
 澪が淡く笑んで、指を口から出す。
 赤い汁がついてところどころ染みたようになっている貝殻が、手の平から落ちて砂に少し埋まった。
「また穫ってくるよ」
 言いながら手をつかんで立ち上がらせる。
 あまり陸を歩くことがないせいか、澪は歩くのがあまり上手くない。どうしてもバランスを失ってよろよろしてしまう。だが澪自身は陸も歩いてみたいと思っているらしく、慣れないため痛めてしまう足を引きずりながら歩いているのを見て、ウォートが教え始めたのがつい先日だ。
 立ち上がることは辛うじて出来るのだが、十歩も歩けばすぐに座り込んでしまう。海の中ではよく動くひれも、地上に上がってしまえば二本の細い脚だ。安定しない足首をくじいてしまいそうになる。
 手を借りながら立ち上がった澪だが、もう片方の手は岩につかまっている。
「大丈夫?」
 頷いてそろそろと手を離す。膝がかすかに震えている。つかまり立ちですら五歩も歩けば座り込んでしまうのだ。
 片手で必死にウォートをつかんでゆっくりと歩き始めた澪は、八歩目を踏み出した瞬間に、足を砂に取られて斜めに傾いだ。素早く動いた腕が、脇をさらって持ち上げる。
 両腕でわきを支えられて、安堵の息を吐いた。
「わき支えるから、一歩一歩」
 ゆっくりでいいから、と言われて、言葉の通り、澪はゆっくりと足を出した。
 白い素足が頼りなく踏み出して、砂に埋もれながら踵をあげていく。
 10mほど歩いたところで、ウォートが澪を軽く抱き上げて、砂に降ろした。
「今日はもう終わろう。脚痛いだろ?」
 曲げた膝を伸ばして砂に放り出させると、澪は小さく頷いて、足首をさすった。
 砂浜に来て二時間ほど経った。もう一時間ほどで日が暮れる。
 天を仰いだウォートを見上げて、澪が呟いた。
「帰るの?」
 呟いた声に感情は感じられない。
「そうだね、もう帰らないと。日が暮れる」
「手を貸して。…海に、帰る」
 伸ばされた手を取って立たせると、澪は脚を引きずりながら波打ち際まで歩くと、キャミソールと腰布を脱いだ。
 ウォートが驚く間もなく澪は海に飛び込むと、全身を濡らしてもとのジンギョ本来の姿に戻り、手だけで上半身を支えた。
 美しい金青の鱗でいろどられた魚の下半身が波を跳ねる。透けたひれが、あえやかに揺れた。
 馬の手綱を樹からはずして裸足のまま騎ると、澪は上半身を精一杯あげてウォートを仰いだ。
「また来てくれる?」
「ああ」
 別れのキスも抱擁もない。
 ただ一言二言交わして、二人は別れた。
 砂浜を馬で走って遠ざかっていくウォートを見送った澪は、しばらくその姿勢のまま、動かなかった。








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なんで一区切りがこんなに長いんだろう…。
まだニ話目なのに、話を一個書き終えた気分です…orz


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