Robinson's cherry 1
「アイシテル」それだけが欲しかったんだ。
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リンチュエイの港町。
ランケン国とユウビョウ共和国のちょうど境目に位置する、どちらともつかない街である。ジンギョ帝国の領地となっているが、星に住む四つの種族すべてが平均的に集まるので、どこの国の領地だか、住人でさえわからなくなってしまいがちだ。もっとも、ジンギョ族は海に住むので住人はユウビョウ族かランケン族、もしくは有翼族だけである。
国と国の境目にあるのでただでさえ賑わう街なのだが、更にここいらでは一番大きい港を抱えているので、規模は相当大きい。村や集落を五つ四つほど集めたくらいの大きさである。
宿や店が多く軒を連ね、広い道を様々な人種がすれ違うなか、特に目を惹く三人が現れたのは初夏のある昼下がりだった。
ざわめく大路を、二人の長身な者を従えて横切っていくのは、めずらしい薄水色の羽を背にたたんだ有翼族だ。海の浅瀬の色で染め抜いたような色の羽を隠しもせずに横切っていく姿は、本人は小さいながらも後ろをついていく二人の長身の者たちを従えて見えるせいか、堂々としているようにも見える。
だがやはり、人々の目を惹くのは二人の従者だ。日除けなのか潮風よけなのか、頭から布をぐるぐると巻き、目だけが見えている。辛うじて口元はゆるめられているようだが、首まで巻かれているので彼らの素顔を窺うことはできない。
「暑いでしょ? 脱いだらいいのに」
言いながら、薄水色の翼を背に持つ少女――この星で言うところの、心性種候補なので、実はどちらの性でもない未分化だ――は後ろの従者二人を振り返った。
整ってはいるが凡庸な顔立ちの中に、大きな瞳だけがまっすぐな性根をあらわすようにきらきらと輝いているのが印象的だ。
「だけど、雫」
振り返って、少しでも風を送るように軽く翼をひらいて動かしながら、雫と呼ばれた未分化が腕を伸ばして従者の片方から布を取ろうとすると、従者は伸ばされた手をやんわりと遮って、声を上げた。
声からして、男――この星で言うところの、雄性種という種類――なのは間違いないようだ。まだ若さは残るが、爽快を感じさせる低い声だ。
「驚かれても困るし…。港まで我慢すればいいんだろ? そう暑くないよな、兄貴」
兄貴、と振られた方も、ああ、と頷く。
こちらは落ち着きを感じさせる声音で、爽快と言うより冷涼を感じられる。
「日除けになってるから、そう暑くないよ。それより、雫は暑くないのか?」
すると雫は膝より上の短い腰布をひらひらと揺らした。
透かしたような水色の麻の腰布が涼しげだ。
「あんまり。少し暑いだけ。灼けちゃうかな」
そう言いながらも雫の肌は抜けるように白く、灼ける気配を見せない。
「少しくらい灼けた方がいいんじゃないか。あんまり白いと病的なだけだぜ」
爽快な声の方が言う。
すると雫はばさりと大きく羽をはばたかせて身をひるがえして歩き出した。
「健康的な白って言ってよ」
「健康的な、ね」
「健康的になりすぎて真っ黒にならないようにね」
からかうような爽快な声と笑いを含んだ清涼な声に雫は頬をふくらませてうるさいな、とぼやくと羽をたたんだ。
それから、また三人はしばらく歩いた。なにかしら話しながら、やがて倉庫の連なる路に出て、ようやく雫が立ち止まった。
「ここだよ」
そこは、港だった。
このリンチュエイの街の、活気の源である場だ。だが今は昼でしかも全ての舟が休航とされる日の曜なので、入港して来る舟も出航していく舟もなく、舟を迎える人も、舟を送る人もいない。よって、広い港は閑散としている。
「布、とっていいよ。誰もいない」
舟をつなぐ杭に腰を下ろして雫が羽を広げた。
「そうだな」
「ようやく息ができるな」
言いながら二人とも布を取った。布の下から現れたのは、若く精悍な顔だ。
「あっつー…」
無造作に布を取った爽快な声の方は、陽のようなオレンジに近い明るい茶色い瞳と髪だ。くせっ毛なのか、短く切られた髪が四方に散っているが、顔が整っているのでそれすらよく似合っている。からだはほどよく筋肉がついていて逞しいが、目が多少吊り目気味のせいか、十代後半に入って間もないように見える。
アークレイン・ブライゼータ。この星に墜落してきた巨大宙艦船の齢十七歳の若き艦長だ。
アークの布を風にはためかせていると、隣から声があがった。
「やっぱり海風があるんだな。涼しい」
布を取ると、冷涼な声の方は、それをきちんとたたんだ。丁寧にたたみ終わってあげられた顔は、壮大な海と同じ色をした瞳と、木立の幹のような茶色い髪のよく似合う、優しげな面だった。彼を取り巻く雰囲気は、横にいるアークよりも数センチ高い身長の割に穏やかな物腰からくるのか、それとも真摯な態度からくるのかは知れない。だが多分十代後半か二十歳ほどだと思われる年齢からは信じられないほど、落ち着いている。
彼は布に多少遮られた空ではなく、視界いっぱいに広がる空を見上げて、ふう、と息を吐いた。
海原をすべった風が、髪を梳いていく。
先に紹介したアークの兄、ウォークランド・ブライゼータ、19歳。弟を影で支える、宙艦船の副艦長をしている。
「布かして。しまっとくから」
肩からさげていた布袋に布をいれると雫は裸足になって桟橋に座り込んだ。
「雫」
紐で編まれたサンダルを脱いで打ち寄せてくる波に裸足を浸している雫の名を、陽の色の髪のアークが呼ぶと、なに、と振り向いた。
「待ち合わせってここなんだろ?
相手は?」
「もう来てるんじゃないかな」
言うと立ち上がり、叫んだ。
「みーおっ」
声はどこまでも通り、やがて波に消えた。
波が、なにもないところで跳ねた。
「澪!」
たゆたう波間から現れたのは少女だった。いや、実際はどちらかはわからない。多分、未分化だろう。
ばしゃばしゃと水をかき分けて近づいてくると、すぐそばまで寄ってきて、首だけを水面から出してこちらを見上げてきた。
きらきらと、陽に反射しながら波に揺れる髪は、見たこともない、透けるように細い白の絹糸だった。否、よく見ると金なのだが、あまりにも色が薄いのだ。
「ごめん、遅くなって」
雫がしゃがみ込んで手をあわせると、ううん、と細い首を振って、薄い金髪の(暫定)未分化はふわりと淡く笑んだ。
海を映しこんだような青い瞳は吸い込まれそうに澄んだ色をしている。
「このひとたち?」
どちらの性ともつかない、ハスキーな感じのする声が、色のいいくちびるから漏れた。
「うん、そう。…ここじゃなんだから、すぐ近くに浜辺あったよね。そこに来て」
「わかった」
言葉少なに言うと、ざぶんともぐって波の向こうに消えていった。後を引いて流れるように消えていった金がアークとウォートの二人に鮮やかな印象をまき散らしていく。
二人が呆然と水面を見つめたまま突っ立っていると雫が立ち上がり、少し汚れた腰布をはたいた。
「行こっか」
雫に急かされて、二人ともようやく歩き出す。
しばらく三人で並んで歩いていたが、港からでた頃には、雫とアークの後を少し遅れてウォートが歩くかたちになった。
前を歩く雫とアークはじゃれあいながら歩いている。
二人を見るともなしにゆっくりと歩きながら、空を仰いだ。
吸い込まれるような、青い空。その向こうには光すらのみ込む暗い宇宙が広がることなど嘘のように澄みきって青く、果てなどなく広がるそこにはちぎって投げたような細長い雲と、思い出したようにときどき鳥が横切っていった。
生まれた星では見たことのない光景だった。
切り取られて、無機質な建物の間からしか見えない空はいつも少しくらい感じがして、見上げることが億劫だった。幼い頃など、切り取られた少し青い方が空とは思ってもいなかった。
この星に墜落して、最初はこんな星にと思ったが、今ではこの空の下に少しでも長くいられるのだから、墜落してよかったかもしれない。
オリエアス星系に連なる十五の惑星の中で唯一生物が確認され、更に文明が確立しているシェルサーラ星は宇宙の楽園だと誰かが言っていた。もしかしたらなにかの本の一文だったかも知れない。図書館かどこかの。
詳しいことは覚えていないが、今ではその通りだと思っている。
地面も空中も水上も関係なく走るエアカーやバイクなどなく、乗り物といえば地上を走る馬かろば、もしくは水上を渡る木の舟だ。
水が飲みたいと言っても蛇口をひねればすぐに出るものでもなく、川や井戸から自力で汲んでくる必要がある。
食べ物は買い物に行って買うものはせいぜいパンや地方によって穫れないものだけで、あとはたいていが自給自足だ。
暑い、寒いと言っては季節ごとに着ている衣服の空調をつけたり消したりは出来ないので、年中快適ではない。
星中電気が通っていないのでテレビもラジオもなく、伝達は人と馬や鳥によってしか行われない。
暇になってもゲームや音楽鑑賞もできない。
なにかと、不便ではある。
だがそれを無にしてしまうほどの魅力が、この宇宙の楽園にはあるのだ。
馬もろばも慣れれば普通に乗れるし、機械ではないので友達にもなれる。
蛇口をひねればいくらでも出てくるいくつもカルキ層をくぐった水よりは、地下を通って自然に浄化されて澄んでいる水の方が、幾倍も美味しい。
農薬を肥料にして育てられたような野菜や品種改良と称されて遺伝子を操作された果物より、少しくらい虫に食われていたって陽の下ですくすくと育った野菜の方が、体にもずっといいだろう。
どこへ行ってもアスファルトなどなく、せいぜいあるのが石畳なので日中は暑くても夜になればそれなりに涼しく、風を遮る高い建物もないのでよっぽど暑いのなら、窓を開ければ風が吹き込んでくる。寒ければどこの家にもある暖炉を焚けばいいし、少しだけ寒いのなら誰かと寄り添ってみるのもいい。
電気などなくても手紙はきちんと人の手によって運ばれてくるので伝達は出来るし、なにか事件があればそれを伝える使者が国から出される。
たった一人で興じるゲームなんかより、読書をしたり相手を見つけてチェスやトランプをしたりする方が楽しい。音楽は、誰かが必ず歌っているし、少なくとも風や水の音だけはいつでも流れている。
人間と自然が共存しあい、ほかのものはなにもない、自然なままの姿だ。
土の道を踏みしめながら歩く感じがとても気持ちよく、一歩一歩踏みしめるように歩いていると、不意に前の二人が立ち止まった。
「アーク?」
目の前の弟に声をかけて前を覗くと、今まで続いていた土の道が途切れて、岩の段差がいくつか続いて階段状になっている岩場まで来ていて、雫がしゃがんでサンダルの紐を解いて脱いでいた。
サンダルの紐の部分を右手でまとめて持つと体を起こし、雫は勢いよく石の階段のてっぺんから飛んだ。
あ、とアークが慌てて手を伸ばしたが間に合うはずもなく、ぽぉんと奔放に飛んだ雫は砂の上に着地して、前のめりに転んだ。背中にある翼は飾りものではないだろうに。
「雫!」
駆け出したアークが長い足で階段を何段も飛ばして下に降りると、起きあがった雫は砂のついた顔で笑った。
「アークもウォートも靴なんか脱いだら?
裸足の方が気持ちいーよ」
呆れるアークなど気にもせず立ち上がるとサンダルも、布袋さえ砂の上に投げ出して、雫は波に向かって走っていった。
腰布が濡れてしまうことなど気にもせずにばしゃばしゃと海にはいっていくと、笑い声をあげた。
ぼうっと呆れていたアークも、恋人に誘われて苦笑しながら立ち上がると、この星に来てから支給された革の長靴を脱いで裸足になった。裸足で砂を踏むと猛々しい柄の入った腰布をはずし、下から穿いていた二股を膝上までまくった。その姿は、とてもじゃないが大戦艦隊を率いる若き大佐には見えず、年相応の少年にしか見えない。
シャツを脱ぎ捨てて上半身裸になってしまうと、アークは
「兄貴も来いよ」
誘って、砂を蹴って走り出すと、雫同様波を蹴散らして大声を上げて笑った。
波を蹴ったり手ですくい上げたりしては笑いあっている二人を見ながらウォートも靴を脱いだ。
太陽に灼かれた砂は熱く、だが砂に足を沈めてしまうとひんやりと冷たく涼しい。
さくさくと少し沈みながら波打ち際まで歩いて、砂にしみ込んでくる海水に足を浸す。じわ、としみて寄せていく感触が、足下の砂をすくわれていく感覚とも似ていて、思わず自分がさっき立っていた場所から移動しているのかと足下を見渡したが、場所は変わっていなかった。
顔をあげると、目の前の空と海の境界線はなによりもまっすぐに横に伸びていて、完璧に両者を隔てる境界線のようにも、融合しているなかで曖昧に元あった姿を残しているところのようにも見えた。
岩場の近くで、雫とアークが水をかけあっている。
海面をすべって吹く風は涼しく、水はうち寄せるたびに冷たくて気持ちいいが、空から照りつける太陽が、酷く暑い。
砂に足を取られながら海に背を向けると、そのままちょっとした坂を上っていくように砂浜を上がっていく。
ふと、視界のはしにきらきらとしたものが反射して、眉をしかめた。
陽光に反射してきらきらと光るのは黄色のような金だ。柔らかい光を放っている。
―――なんだ?
手をかざしながら近づくと、やがてそれが細長く砂に這ったものだと知った。
「兄貴?
どこにうわっ」
「アークッ!」
砂に足を取られて後ろに転んだアークが水柱をたてたが、それにかまわず、金色のなにかに、近づく。
むくりと、金色がもりあがった。
驚き立ち止まり、手をかざしたまま見ると、どうやらそれは人のようだった。
更に近づいていくと、金の輝きを発する人は起きあがり、砂地にぺたりと尻を着けて座り込んだ。
まっさらな肌が金に映えて白い。
「あ」
空を仰いだ純真無垢な赤ん坊のような顔に、見覚えがあった。
澪、だ。
「あー澪!」
後ろで声があがって振り向くと、げほげほと咳き込むアークを後ろに、雫がばしゃばしゃと波をかき分けて近づいてきた。膝までしか濡れていなかったはずが、気付けばもう上着まで濡れている。
「雫」
起きあがった澪が、友人の名を呼んで、そばに立ったウォートを見上げた。
空か海か、どちらかの色を溶かし込んだような色の双眸がウォートを映してゆるゆると揺れる。
―――海の色だ。
なにか言おうとウォートが口を開いたとき、走ってきた雫が、澪に抱きついた。白に近い薄い金の髪が散って、軌跡を描いて後ろに倒れた。
「見ないでウォート! 澪裸なんだから」
「えっ、あっ」
慌てて目をそらす。
そうだった。金の髪があまりに眩しくて忘れていたのだが、澪は一糸まとわぬ姿で、砂浜に寝転がっていたのだ。今更、金に輝くように白い肌が、生々しく脳裏に焼きつく。
「澪、もう、せめて岩陰にいるとかしないと、襲われるよ。ウォートみたいなのに」
「雫!? お、俺そんなことは…」
「見ないでってば! アークも!」
言い返そうとして振り返りかけ、また雫の声に押されて後ろを向く。
「ウォート、袋持ってきて、あっちにおいてきたやつ!」
「あ、う、うん」
指示されて走って袋を取りに行く。砂浜に投げ出された袋は、投げ出されたときに口が開いたのか、中に入っていた布が砂に這っていた。
素っ気ないほど白く素朴な麻の布地は持ち上げると腰止めがついていて、どうやら腰布らしい。ずるりと引き出された腰布について、薄い水色の上布も出てきた。キャミソールだ。
「ウォート、なにしてるの」
「あ、ああ」
慌てて腰布とキャミソールを袋に詰めて持っていくと、澪は雫によって岩陰に隠れさせられていた。小さな顔が岩の向こうから覗いて、きょろきょろと周りを見渡す。
「ちょっと、待っててね」
雫も澪と一緒に岩陰に引っ込んでしまい、ウォートは見ないでといわれたきり後ろを向いているアークの隣に座った。
「あの子、なに族だって?」
「ジンギョ族だってさ。すっげーきれいだな」
弟の率直な意見に、頷く。
確かに、今まで見たこともないほどきれいだと思った。神聖だとも思った。
「人魚なのか…」
アークとウォートは武官なので今まで人魚のことなど、いてもいなくてもいいじゃないか、別に、というほどのことしか思っていなかった。だから軍の中に特別保護物捜索課があることを馬鹿馬鹿しく思っていたのだ。いるからいないからと言って別になにかいいことがあるわけでもないのに『宇宙の美貌』と称され、数も非常に少ない(現在確認されているだけで、五つの星でしかその存在は認められていない)人魚を捜し回る研究者たちを呆れて見ていた。だが実際、宇宙の美貌と称されるほどのその容貌を見たからには、いてもいなくてもいいとは言えなくなっていた。
人間と魚の間の子のような生物が、なぜそこまで美しいと言われるのかわからなかったが、今ではわかる。
絹のように、透けて輝く髪。
抜けるように白く、触れてもいないのにわかるほどきめ細かな肌。
まだ見ていないが、きっと鱗だってすばらしい光沢を放つ。
普通の人間の姿になっても、海の中をしなやかに泳いでいけそうな細く長い四肢。
そしてなにより美しいと思ったのは、内包物のないアクアマリンを埋め込んだような双眸。きれいにきれいに円く研いではめ込んだように、淡い輝きを持っている。
あの海のようにと眼前に広がる海を見ていたら、後ろから声がかかった。
「アーク、ウォート、もういいよ」
雫の声に振り返ると、岩にもたれた澪と、綺麗になったでしょう、と自慢げな雫が立っていた。
「んー…なんか今更だけど、一応自己紹介。はい、澪から」
テンポよく、どうぞ、と言われて澪はぼんやりとした双眸でアークとウォートを交互に見つめ、なにを言われたか分かっていない様子で呟いた。
「すわってもいい?」
「あ、いいよいいよ。アークもウォートもすわろ」
言われて全員がそれぞれ砂の上や岩の上に座る。
アークと雫は岩の上に、ウォートは砂上に腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
再びすすめられて澪が頷く。
乾いた金の髪が、肩からさらりと流れてまったいらな胸元に落ちた。まだ未分化なのだろう。
「澪・フラルーエ、今年16で…未分化。…あ、ジンギョ族、です」
途切れ途切れにぽつぽつと自己紹介した澪は、ついでのように軽く頭を下げると、終わりです、と小さな声で言った。
どうも不思議なテンポになんだか拍子抜けしながら、あ、こちらこそ、なんて人付き合いのよいウォートが思わず頭を下げていると、雫が岩から飛び降りた。ひらりと腰布がまくれて、白い大腿が露わになったが雫はそんなこと気にしない。
「じゃあ次はアークとウォート」
「え」
「澪だってやったんだよ。なんなら雫もやるから、はい、どーぞ」
はいどーぞ、なんて軽くすすめられて二人で顔を見合わせたが、アークが先に立ち上がった。雫に早くと急かされたのだ。
岩から降りたアークは、後頭部を掻きながら口を開いた。
「アークレイン・ブライゼータ、17歳です。宙艦船の、艦長やってます。あー…よろしく」
握手するために手をさしのべると、澪は浮くような手つきで手をあげて、アークの手を軽く握った。
「はい、次は兄貴」
アークにタッチとばかりに肩を叩かれて立ち上がり、ウォートは思わず星の礼儀作法で、女性への最高礼をしてしまった。
腹に右腕を置き、左腕を背にまわしてお辞儀をするのだ。
やってしまってからはっと気付き、顔をあげたが、時は遅く、アークは笑いをこらえた顔をしているし、澪と雫はぽかんとしている。
「…あっ…兄貴、なに最高礼してんの」
「最高礼なの? ウォート、やだいくら澪がきれいだからって…」
アークと雫に笑われて顔から火が出そうに恥ずかしく思っていると、ふいに澪が立ち上がった。
立ちなれないのか、ふらふらとおぼつかない足取りで立ち上がった澪に思わず手をさしのべると、つかまってなんとか立ち、ウォートの手を離した。
深く青い瞳でウォートを見据え、そ、と両手をあげると、手の平を胸の前であわせた。そのまま頭を軽く下げると、腰を折った。
「え、澪?」
雫が慌てた声を上げている。
だが澪は腰を折ったままお辞儀を崩さず、三秒ほどしてようやく顔をあげた。
雫は呆気にとられた顔で見ている。
「し…雫?」
アークが見かねて呼ぶと、雫ははっとしたようにアークを見て、澪を見た。
「澪、どうしたの、それ、ジンギョの族礼でしょ?」
「ジンギョ、族礼って、なに」
なにか大それたことをされたのかと片言でウォートが言うと、雫はすごいよ、と興奮した様子で立ち上がった。頬が赤くなっている。
「あのね、雫たちには二つの礼があるの。一つは誰でも同じ、挨拶。こうするやつ」
こう、と腰を軽く曲げる。会釈だ。
「で、もう一つが、それぞれの一族の挨拶。目上の人にやる場合の方が多いけど、大抵は誓約式の時とかやるときの方が意味は重いよ。『あなたに私の全てを与えます』って意味があるからなんだって。いい、ユウヨク族の挨拶は、こう」
「え?」
一緒になって頭を下げてしまったアークを睨んで、背にたたんだまだそう大きくはない翼を大きく羽ばたかせる。
「ちゃんと見て。一族の挨拶を見られるのはめずらしいんだから」
「ごめんごめん」
おどけながら謝ったアークに鼻を鳴らして羽をたたむと、雫は表情を落ち着かせて、静かに右の手の平を胸の真ん中においた。その上に、左手を重ねる。そのまま、腰を折る。
数秒、そのままの姿勢で動かずにいた雫は、ゆっくりと顔をあげて手を下ろした。
「これが、ユウヨク族の礼」
「族ごとによって違うのか?」
ウォートが問うと、頷いて、口を開いた。
「ランケンにはランケン族の、ユウヨクにはユウヨク族の、ユウビョウにはユウビョウ族の、ジンギョにはジンギョ族の挨拶があるよ。だから族礼って言う。他族に見えるのはめずらしいんだよ。初対面の相手なんて、もってのほか」
「で、なんでまた澪はそんな大それた礼を兄貴に」
「さあ…澪、どうしたの、ウォートとは初めましてでしょ?」
まるで幼い子供に問うような口調で雫が問うと、澪は何でもないことのように頷き、それがどうかした?
と続けた。その向かいのウォートは雫からの説明を受けて呆然と立っている。
「自己紹介、しないの?」
澪が、ぽつりと言うと、ウォートは弾かれたように顔をあげて、まるで呼吸をする金魚のようにぱくりと口を開けた。
「あっ…いえ、はい、ウォークランド・ブライゼータであります。今年で、19になります。ブラフィム連合星系レアルクロフォード宙艦隊第五艦隊所属副艦長を勤めております」
緊張のせいか、いやに堅苦しく挨拶をしたウォートを見上げて、そう、と素っ気なく澪は言って座った。
「澪、今言ったとおり、アークとウォートは兄弟で、チュウカンセンっていうのを動かす仕事してるんだって。アークが隊長で、ウォートが副隊長なんだよ」
「ふうん…アークレインの方が上なんだ」
その言葉に、ふっと目の前が赤くなった。
何度も言われてきたことだ。兄のくせに、弟の下につくのかと。だが慣れたはずのその言葉を、遠く離れたこの星でまさか言われるとは思わなかったのだ。
役職や家に囚われずにいられるこの星で、まさか差別されるような言葉を投げつけられるとは思わなかったのだ。
こんな無垢な顔をした美しい生き物に、まるでわかっていないくせにそんなことを言われるのかと。
思わずかっと赤くなったウォートを、しかし、静かな声が制した。
「でも、ウォークランドの方が偉いね」
なにを言われたのかと一瞬耳を失い、顔をあげると、ぼんやりとした、夢と現を彷徨っているような表情のなかで、グランブルーの瞳が静かに見つめてきた。
「いま、なんて…」
問うたウォートの言葉を聞かず、澪は口を開いた。
「上に立つ人間より、支える人が一番偉い。上にも下にも挟まれて、大変でしょう。ウォークランドは、偉いね」
そして、いまだ夢を見ているような瞳のまま、笑んだ。
初めての笑みだった。
声量を上げるわけでもなく、あでやかに目元をほころばせたわけでもない。ただ、淡い色のくちびるの端を少しあげただけだ。
それだけだ。
気付けば笑みは気付けばもとのぼんやりとした表情に隠れて、影すら見えない。
「ねえ、泳がない?」
雫が、声を上げた。
どうやら澪から醸し出される不思議な空気についていけなけなくなり、空気を破ったのだ。
立ち上がって砂を落とすと、雫は布留めをはずした。はずした布留めで髪の毛を上にまとめて留めると、腰布を取った。
「し、雫!」
慌てて手を伸ばしたアークからするりと逃げて、腰布をひらりとはためかせた雫は、上のキャミソールだけは着たまま、二股の下布だけで下半身の肌を隠し、すらりと長い足を三対の目の前に晒した。
「行こっ、アーク! ウォートと澪も!」
「ちょっ待っ」
引っ張られて砂に足を取られながら、アークも砂を蹴って走り出す。
呆気にとられながら、引っ張られていく弟が海に引き込まれて波に足を取られ、大きな水柱をたてたのを見ていると、立ったままだった澪が、すとんと座った。まるで膝の後ろを引っかけられたような座りかたに、ウォートが驚いて見下ろすと、澪は裸足を手の平で擦った。
白い素足に張りついていた砂がぱらぱらと落ちる。
「ウォークランド、座らないの?」
長い名前を短くした『ウォート』という愛称ではなく、『ウォークランド』とそのまま呼んだ澪は、ウォートを見上げた。
どこに座ろうかと一瞬ためらったが、そのまま砂の上に座る。陽に灼かれた砂は乾いているので、叩けばすぐに落ちるだろう。
向かいに座ったウォートを見るでもなしに足をさすりながら、澪は日陰になっている岩にもたれている。肩口から背中に流れていた幾筋かの金糸が、さらさらとこぼれて胸元で光を反射した。
「足が痛いの?」
話すことがなくて、さすっている足のことを訊ねると、曖昧に頷く。
「歩きなれないから…」
さすっていた手で砂をつかんで、指の間からこぼれる砂を、素足にかけた。肌に溶けこむほど同じ色をした白い砂は、肌をすべってもとの砂地に戻っていった。
向こうでは雫とアークが戯れあっている。
仲のよい二人だが、もう数週間もすれば離れなければならない。夜空に輝く星のどれか一つにある故郷の星に帰らなければならないのだ。アークは将来を期待されている身で、家柄のこともある。親が決めたものだが、婚約者だっているのだ。雫だって親族は集落長で、翼を持っている。一緒にいたいからと言って星に連れていけば、差別を受けるに決まっている。
別れを知っていながら一瞬を永遠のように過ごしあう二人を見ていると、ふいに澪が口を開いた。
「ウォークランド」
呼ばれて視線を澪に移すと、澪は微睡んでいるような瞳でウォートを見据えた。
今にも眠りそうな瞳にも、起きたばかりのような眼差しにもとれる。
「手を貸して」
言われたとおりに手を貸すと、それを支えに立ち上がり、ふらつきながら岩に寄りかかって、澪はひれのかわりの二本の足で砂地を踏んだ。
今にも倒れてしまいそうなふらつきかたに、ウォートも立ち上がって倒れたらいつでも支えられるように、そばに立った。
澪は片手で岩に寄りかかりながら、腰布の砂をはらった。
倒れそうで思わず手をさしのべると、澪はすがるようにつかまって、一歩一歩ゆっくりと歩き出した。
砂を踏むたびに、小さな頭が不安定に揺れる。
「歩けない?」
「慣れないから…。手を離してもいいよ。歩ける」
そうは言われても、手を借りても精一杯で歩いているように見えたのだ。今手を離したら、砂に伏してしまいそうだ。
手を離さないままウォートが波打ち際まで一緒に行くと、澪は自分で手を離した。
ふらふらと不安定に揺らめきながらも、まっすぐに歩いて足を波に浸す。
ばしゃん、と座り込んだ。
慌てて手をさしのべたが遅く、一緒になってウォートも波打ち際で倒れてしまう。塩辛い水にむせながら起きあがると、ウォートは頭からずぶぬれになっていたが、澪は腰までが浸かっているだけで、あとは大して濡れていない。
前髪の先から雫を垂らしながら、澪の前に座る。押し寄せる波が、高くても臍上までしか来ない。揺られるような感じが心地よい。
「もとの姿にはならないの?」
水に濡れているのに元にもどらない澪に疑問を感じて問うと、澪は波に揺られながら、歌うように応えた。
「からだが全部海水に濡れないと戻らない。戻らないでいたら、そのうち死ぬ」
死ぬ、と言いながら口調が変わることも表情に変化が訪れることもない。ただ歌詞のようだった。
波に揺られる腰布を見つめながら言って、澪は膝で立つと、身を投げ出すように波に潜った。
水柱を腕で避けたウォートが海水の雨が止んで目を開くと、目の前に、けぶるような長いまつげでおおわれた、二粒のアクアマリンの宝石があった。
そして、そこに、神話で謳われる人魚がいた。
「み、お」
海水に濡れて光を弾く肌は透けるように白くきめ細やかで、赤ん坊の肌になめらかだ。
輝く金は濡れて輝きを増し、まるで生み出すかのようにその先から水滴を落としている。
空を映した海を永遠に凍らせて、溶けなくなったそのかけらをそのまま宝石に加工して丁寧に磨き上げ、はめ込んだような双眸。
とおった鼻筋。淡い色をした、かたちのよい光沢のあるくちびる。
皮膚が薄いせいか、太い血管が精神的に嫌悪感を感じない程度に透けた、放射線状に大きく広がったひれのような耳。
小さな顔を支える華奢な、ウォートの手で締めたら簡単に折れてしまいそうな首。
羽のように左右にきれいに浮かび上がった鎖骨。
しなやかに伸びた細い腕。
そして地上を歩くに必要な二本の足の代わりに、海の合間を泳ぐに不可欠な、腰から続く魚の下半身。何百何千の金青の鱗におおわれた下半身が、透明な海水の下でその先に続く薄いひれを揺らしていた。
全ての美しいパーツを揃えたような美貌が目の前にあった。
すべてが完璧な美しさでありながら、特に際だって光り輝き美しいアクアマリンの双眸からは全くと言っていいほど感情が感じられないため、完璧ではなく、どこか欠けた美がある。だがだからこそ危うい均衡の上に立っている、完璧に何よりも近く、遙かに遠い美しさだ。
目の前の美貌の人魚は呆然とするウォートの顔のすぐ近くで、ゆっくりとくちびるを開いた。
「ウォークランド」
さっきまで聞いていた声のはずなのに、それはまるで天使の声のようだった。澄んでいて、よく響く透明な声。低くもなく高くもない。
コンピュータで合成され、最高の歌姫といわれたバーチャルミュージシャンが星にいたが、それよりもはるかに澄んだ、やわらかく美しい声だ。
「逢いに来て。名前を呼んで」
気付けばウォートは頷いていた。
目の前の人魚は、大粒の二つの宝石に嬉しそうな光を宿して、淡い色のくちびるをほころばせた。
「澪」
たった二つの文字。
「もっと」
「澪」
言われるがままに同じ文字を繰り返す。
ジンギョ族は、淡く笑んだ。
そのくちびるから漏れた囁きによって、二つの星をも巻き込んだ大きな大きな歯車が、重い音を立ててまわりだした。
何代も続く優れた軍人を輩出することで有名な家系の末裔であるウォートとアーク、翼を背に持つユウヨク族の雫、後に旅芸人たちがこぞって劇にしたほどの美貌を持つ、澪の四人を乗せて、歯車はまわりだした。彼らに関わる全ての人を乗せた周りの小さな歯車をもまわしながら。
ぎいぎいと悲鳴のような音を立てて軋みながら、緩慢な動きで、しかし確実に回り始めた。
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目茶苦茶長い話ですが、なんとかスタート。
区切って区切って、25くらいでは終わりたい ナ!
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