float fish 4















 日給四千円と言われた有志の仕事は、主に子供たちの世話と遊び相手、それにスイの捜索だった。二週間の滞在中に五万円以上稼げるわけだが、四日目ですでにそれに相応するほど有志は動き回っていた。
 とにかくスイはすぐにいなくなるのだ。
 放浪癖があるのか、スイはちょっとでも目を放すとすぐにいなくなる。子供たちにせがまれてかくれんぼでもしていると、交じっているわけでもないのにスイまでいなくなり、子供たちを捜しながらスイも捜さなくてはならなくなる。
 四千円は破格じゃないかと文句を言いながら、今日もまた有志はスイを捜して子供たちを金魚の糞よろしく腰にくっつけたまま家中を歩き回って外に出た。さっきまで縁側にいたはずなのに、有志がトイレに行って戻ってくるともういなくなっていたのだ。
「スイ捜してくる」
「昼には戻ってね」
 子供たちに麦わら帽子をかぶせ、有志は片手にタオルを持って学童宿舎から出た。
「走んなよー」
 すぐに走り出しては転びそうな子供たちに気を配りながら、辺りを見渡してスイを捜す。
 いなくなると、スイは大抵水辺にいた。なのでいつも見つけるとびしょ濡れで、有志は捜しに出かけるときはタオルを持っていくようになっていた。
「ユウ兄ちゃん」
「んー」
「スイ兄ちゃんいるよ」
 お気に入りの場所なのか、よくスイがいる浜辺を沿うように続く道を歩いていると、くいっと服の端を引っ張られた。言われて見ると案の定、浅瀬の日陰になっている場所で、スイが水死体のように砂に寝そべっていた。
「スーイ」
 呼ぶと首を少しあげた。灼けないのか、白い肌が眩しい。
「あがってこいよ。帰るぞ」
「写真」
 声を掛けると、首を少しあげたままの姿勢で、スイはこちらに辛うじて届くほどの声量で言った。
「写真?」
「明日、いまの海ない」
 スイはいつも片言でしゃべる。修飾語がないのだ。だが必要最低限の言葉は言うので、有志は時々外国人と話しているような錯覚を覚える。
「…写真撮るんだな?」
 解るような解らないような、曖昧な感じだったが、有志はそこで待っているように言って、子供たちを連れて学童宿舎へ帰ると、カメラを持って急いで引き返した。片手にはタオルを忘れずに。
「拭いてからだっつってるだろ」
 カメラを持って戻ってきた有志の姿を見つけるとスイは嬉しそうに駆け寄ってきて、すぐに手を伸ばしてきた。だがスイの両手は濡れている。伸ばされた手をタオルでしっかり拭いてから紐を細い手首に巻きつけて、ようやく渡すとスイはすぐさまレンズを覗き込んだ。まったく、どの子供より一番手がかかる。
 レンズを覗き込んですぐ、カシャ、とシャッターが下りた。機械音の後、有志にまだ黒いままの写真を渡す。有志が振らないと映像がでないと思っているのだろう。受け取って苦笑しながら振り、映像がうっすらと浮き出てきたところで渡す。
 たった数秒の動作なのに、待ちわびていたスイは受け取るとすぐに写真に見入った。
「きれい」
 その言葉しか知らないようなスイの感想。
 光を反射してキラキラと宝石のように輝く波間。写真に収めてしまっても、その刹那の輝きはほとんど失われていない。
「うん」
 横から覗き込んで有志が頷くと、スイはきれいと繰り返した。
「あれ、それまだ持ってんだ」
 今撮った海の写真と重ねてスイが手に持っていたのは二日前に撮った夜空の写真だった。
「なくならない。大切」
 足りない言葉で言うと、スイはカメラを有志に返した。
「薬、なくなる」
「薬?」
 有志が問うと、スイはわずかに笑んだ。泣きそうにみえる笑みはすぐに背を向けて、有志の先を歩きだす。
 細い背中はゆっくりと遠ざかっていく。
 片手に写真を二枚、それだけが宝物のように大切そうに持って。






「彩子さん」
「なに?」
「薬ってなに」
 子供たちと一緒にスイも大人しく昼寝しているのを確認して畳間から出てきた有志は、台所にいた彩子に突然の問いを投げかけた。 冷蔵庫を開けて麦茶を出す。
「薬? なんの?」
「スイが飲んでるやつ」
 彩子は大量の洗い物を終えて濡れた手をふくと、少し考えるようにして、ああ、と頷いた。
「薬じゃないわよ」
「え?」
 確かにスイが薬と言っていたのを聞いている有志が聞き返すと、彩子はこれよ、と有志の前に調味料を置いた。
「砂糖?」
 透明なプラスチックのケースに入っている調味料は、見慣れた甘い粒子だった。窓から入る陽光に、キラキラと光っている。
「砂糖よ、スイくんの言ってる薬は。舐める癖があるのよ」
「癖? なんで」
 もしかして手を握ったときに手のひらについたのは砂糖だったのかと思い返すと、そんな気もしてくる。砂糖が水に溶けると、丁度あんな感じだろう。
 注いだ麦茶を飲みながら手のひらを見ていると、向かいに彩子が座った。
「…まあ…あんたにはなんか懐いてるから言ってもいいかしらねぇ」
「懐いてんの、あれ」
「そうよ。あたしなんかねぇ、あの子の声聞くのに半年はかかったのよ」
「別に…しゃべるよ、なんか片言だけど」
 単語をぽろぽろとこぼすような話し方をするスイ。
 その言葉の本当の意味を知っているような。
「仕方ないわよ。スイくんはねぇ、実の親御さんが今親権放棄で審議中なのよ。若くしてスイくんを産んで…それで虐待に走っちゃった人たちでね。…いろいろされたのよ」
「実の親なのに?」
 普通の両親をもつ有志には、そんな話をされてもフィルターの向こうで霞んだ世界のように思われる。テレビや本の中でしかありえない世界のように感じるのだ。
 少し口調を荒げた有志に、そうよ、と彩子が頷く。
「今はそういうの多いでしょう…。麻薬とか、そういうのもあったみたい。それで後遺症なのね、きっと。薬と似てるからかしらね…砂糖を舐める癖が出来ちゃって…。できるだけ舐めさせないようにしてるんだけどね、いつの間にか手のひらに握ってたりするのよ」
 産まれてきた子を虐待する親と、それを認めたくない、虐待を受けずに育った有志、虐待のなかを生きてきたスイ。
 三者は確かに同じ社会に生きているのだ。
 思わず有志が眉をしかめると、彩子はちいさなため息を漏らした。
「スイくん、しゃべり方おかしいでしょう。あれね、義務教育もほとんど行かせてもらえなかったからよ。ほとんど監禁状態だったの」
「監禁…」
 自由奔放と言うわけではないが、放任主義的な親のもとに生まれた有志に、監禁された経験どころか束縛された経験すらない。だが、中学卒業までほとんど監禁状態なら、言葉が足りないのも納得がいった。
「…ひでぇ」
「でもそういう人たちが今の社会は多いのよ…」
 眩しいほど純白の砂糖をプラスチックのケース越しに見つめながら、有志は彩子が漏らした言葉に目を眇め、プラスチックの薄い蓋を開けた。そっと指先を入れ、砂糖をつけてぺろりと舌先で舐めた。
 砂糖はどこか胸の奥をしびれさせるような甘さで、少しざらついて舌先で溶けた。









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