float fish 5











 右手にビニールの袋をぶら下げて、地元の店から帰ってきた有志は、玄関先で有志の帰宅を待ちわびていた子供たちにまとわりつかれた。
「どこ行ってたの、ユウ兄ちゃん」
「ちょっとな。スイは?」
「いるよ。畳のお部屋にいる」
 他の子供たちとは違い、目の見えない由香が玄関に一番近い部屋にいるのを見て抱き上げ、まとわりついてくる子供たちを蹴らないように廊下を歩き、有志は畳間を覗き込んだ。
 縁側の網戸に寄りかかって、スイが写真を眺めていた。
「スイ」
 呼ぶと幼さの目立つ大きな目を上げて、「写真」と言った。
「また見てんのかよ。手見せろ、手」
 大人しく部屋にいる時は日がな一日写真を見ているスイの手をとって砂糖がないのを確かめると、有志はぶら下げていた袋を逆さまにした。飴が大量に袋から転がり出る。
 本当は頼まれて買い物に行っていたのだが、途中で通った駄菓子屋で一個十円の飴が売られているのを見て、わざわざ一端学童宿舎に戻って、飴を買うために自分の財布を持って駄菓子屋まで行ってきたのだ。
「歯磨きするやつは取っていいぞ」
 一つとって包みを開き、有志が口に放り込むと、子供たちが群がってきて、我先にと飴に手を伸ばした。
「こら喧嘩すんな。全部取んなよ」
 言って手を伸ばし、いくつかの飴玉を確保すると、縁側の木の床に落とす。一つ取って包みを取り、由香に含ませてもう一つ取る。
「いいか、もう砂糖なんか舐めんな。飴にしとけ、飴に」
 真っ赤な林檎の絵が描かれた包みを開き、蜜の色をした飴玉を出すと、スイの口元に持っていく。
 ふっくらとした唇に丸い飴玉を押しつけると、やわらかくゆがんで、飴を含んだ。
「…ん…」
「口さみしいんなら、これでも食ってろ」
 小さな舌先をちらちらと見せながら口に含んだ飴をころころと転がし、頬を動かして飴を右頬に入れる。頬が飴の形にふくらんだ。
「薬なんかいらねえだろ?」
 床に散らばった飴玉を集めてスイの両手に落とす。子供たちはおのおの飴を確保して、頬をふくらませていた。手のひらにおさまりきれなかった飴玉が落ちて、畳をころころと転がった。
「なくなったらさ、また買ってきてやるよ。いくらでも」
 有志より一回りほど小さな手のひらにいっぱいの飴は、二三日はもつだろうが、そう長い間はないだろう。一日中舐めていたら二日でなくなってしまう。
 だが、少しでもスイが過去から解き放たれるのであれば。そう思った有志の、せめてもの思いが、大量の飴玉だった。
「な?」
 有志の言葉に、ころりと頬の中の飴を転がしたスイは、小さく頷いた。
 その日から、スイは砂糖を舐めなくなった。代わりに、頬のどちらかが飴を含んでぽこりと張り出したようになった。同時に、有志はほぼ毎日駄菓子屋まで足を運び、飴を買ってくるようになった。



 有志が学童宿舎に来て、早くも十日が過ぎようとしていた。
 昼食を終え、眠たげに目をこすりだした子供たちを寝かしつけた有志は、最後までぐずって眠ろうとしなかった由香が目を閉じたのを確認すると同時に、部屋にスイがいないことに気付いた。他の部屋でも子供たちは静かに眠っている。起こしてしまわないように忍び足で宿舎内を探し回った有志は、いつも使っているポラロイドカメラではなく高感度カメラを片手に、宿舎から出た。
 宿舎にいないとすれば、スイが行く所は決まっている。どうせまたいつもの海辺だ。
 歩くたびにポケットでチャリチャリと音をたてる小銭で、途中の駄菓子屋に寄ってアイスと飴を買って、誰も歩行者のいない畔道をゆっくりと歩く。やがて海に着くと、有志は砂浜に降りる石階段の上から浜辺を見渡した。
 観光客がいないぶん、ゴミなどほとんど見受けられない浜辺の隅、岩が砂地から突き出してできた陰の中にスイはいた。
 全身を小波に濡らして天を向いて寝転がっているスイは、眩しいほど白い右腕で目を隠し、左の手のひらで胸の上に置いた写真を押さえていた。眠っているのか、波が頬に跳ねても微動だにしない。
 浜辺に降りはせず、石階段から岩に飛び移って岩伝いに砂浜の隅まで歩き、眠っているスイを岩の上から見下ろす。
「スイ」
 波に消されない声量で呼ぶが、うちあげられたようにすら見えるスイは軽く閉じたまぶたを上げない。眠っているのを確認すると、有志は無造作に持っていたカメラの紐を自分の手首に巻きつけ、万が一にでも落としてしまわないように固定した。わきを閉じて、手首の位置を固定する。レンズを覗くと、焦点があっていないのか、ぼやけて映った海に溶け込んで、スイの姿はほとんど見えない。カチカチカチと神経質な音を立ててピントを合わせると、徐々に焦点があってきて、透明の青から、ほっそりとしたスイの儚げな肢体が浮き上がるようにフレームにおさまった。
 過ぎ去って、二度と戻っては来ない刹那の空間を切り取るためのボタンにゆっくりと手をかける。
 ────カシャ。
 呆気ないほど短いシャッター音は、空間と時間とを切り取ると同時に、眠っていたスイを起こした。間髪おかずにもう一度シャッターを切ると、スイは驚いたように少し口を開けた。
「写真」
 驚いたのは一瞬だけだったのか、すぐにいつものぼんやりとした目に戻ると、起き上がらない体勢のまま呟く。ん、と有志が短く頷くと、二重の双眸がゆっくりと瞬いた。岩から飛び降りてスイの隣に座ると、有志はぼんやりとしながら淡い光を宿している瞳を見つめた。
「投稿するための、いいチャンスだったから」
「とうこう?」
 尻のポケットを探り、さっき買った飴を出して包みをとると、凝視しているわけではなく、ただ有志の姿を視界に入れているだけのようなスイの唇に押しつける。やわらかい唇は拒むわけでもなく、透明な水色の飴を含んだ。
「投稿。俺カメラマンになりたいんだよ。で、今度雑誌に投稿しようと思って。…やっぱだめか、そういうの」
 将来はカメラマンを目指している有志は、写真の投稿をしている。だが、ただ写真を撮るだけなら友人たちも喜んで被写体になってはくれるが、投稿すると言うと誰もが嫌がるのだ。
 せっかくいい絵が撮れたんだけどな、と残念そうにカメラを撫でた有志は、しかし、緩く振られた細い首を視界の端で見た。
「送ってもいいのか?」
 あまりわかっていない様子ではあるが、スイはころころと口の中で飴を転がしながらこくりと小さく頷いた。
「じゃ、じゃあさ、もし載ったら、おまえに雑誌送るよ。そういえば名字なんての」
顔のすぐ横に座っている有志を見上げて、スイは小さく口を開いた。
「アオヤギ」
「どういう字?」
 有志の問いかけに応じるために起き上がると、スイは細い指で、波で濡れた砂に線を引いた。
「イって、そこだけ片仮名?」
 白い砂に浅く書かれた『青柳水イ』の字。明らかに最後の片仮名だけが異色を醸し出している。問いに、細い首が横に振られた。
「しらない」
「───そっか…」
 深く追及しなくても、大体は想像できる。 会話や行動の端々に見えるスイのこれまでの人生に胸が鈍い痛みを訴えるのを押さえながら短く応えると、有志は思いつく限り『イ』と読める漢字を砂に書きだした。
 いつしかスイは、海水に浸ったまま長い睫毛を伏せていた。





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