※作中に虐待表現があります。ご注意ください。











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 内陸より外海、都会より田舎の方が涼があるというが、夏も真っ盛りな七月末は何処もかしこも熱気に満ち溢れて暑い。
暑いなァ、と日本中で同じ言葉を口にした人が何万人と居るような声を、日陰に身を寄せている老婆が言った。陽光が容赦なく薄汚れた灰色のアスファルトを舐め、反射熱に焼かれた空気が波を連想させる動きで、ゆらゆらと遠くの景色を不明確にさせていた。
 まだ朝の緩やかな時間だが、老婆が持ったラジオからは、雑音交じりの声が、もう何度目かになる今年最高気温の更新を報せていた。
幾年も潮にまとわりつかれたうえ、季節が変わる度に熱に冷気にその身をくたびれさせてきたベンチの脚とプラスチックの背もたれが、足を組み替えるたびにギィと折れそうな低い音を立てた。
 もう優に四十分は、有志は時たま足を組み替えたり、背を反らしてみたりしながら、一向に来る気配のないバスを待っていた。周りの人々もバスを待っているのは同じなのだろうが、待つことに慣れているのか、それとも田舎特有ののんびりとした空気がそうさせているのか、誰も苛々とした様子はない。暑いなぁと言いながら、手に持っているうちわを煽ごうとはしていない。結局は誰も、有志のように暑さと怠惰感に苛まれているわけではないのだ。
ぬるい空気を振動させて、バスがやって来た。揺れる陽炎の向こうから、車体をガタガタと鳴らしながら現れたバスはこちらに着くまでに陽炎となって消えてしまいそうに見えたが、横面を張るような熱い空気を引き連れて、消えることなく目の前で止まった。
錆ついた手すりにつかまって有志が乗り込むと、中には老婆が二人と、中性的な容貌をした少年が一人いた。目立つ空席にぱらぱらと客が座ったことを運転手はバックミラーで確かめると、バスは車体を軋ませながら動き始めた。ガタガタと窓枠がゆれて鳴る。車内に冷房はかかっていなくて、開け放した窓から入ってくる自然風がスピードに引っかけられて車内に舞い込んでは出ていった。
しばらくゆられて次のバス停につき、誰も降りず、誰も乗らずバスは発車した。その次のバス停で、座席の隅に埋もれるように座っていた少年がふらりと立ち上がり、手のひらを錆ついた機械のようにぎこちなく開き、金を払って降りていった。その次の次のバス停で、有志は他の数名と一緒に降りた。バスは客が降りると同時に入り口をがしゃりと壊れそうに乱暴に閉め、遠ざかっていった。
道端に看板が立ってるだけの停留所に降りた客は互いの方向へと歩きだし、有志は七分丈ズボンの尻のポケットを探りながら、顎を伝う汗を片手の手の甲で拭った。
暇なら彩子の手伝いでもしてきなさいなと母に言われて、旅費と一緒にその場で渡された手書きの地図。汗でふやけて字が滲んでしまっているのを破かないように広げた。
母の妹で有志の叔母にあたる彩子は、引き取り手がいなかったり親権審議中の子供を対象にした学童の職員をしている。有志は中学に上がった頃から手伝いに来るようにと言われていたのだが、断り続けていたら今年にそのつけがまわってきた。今年も断ろうと思ったが、バイト代あげるからと言われ、嫌々やって来たのだ。
暑さに茹だりそうになりながら地図を見つめた有志はバス停の地名表示と地図に書かれたバス停の名前を見比べ、がくりと首をうなだれた。降りるバス停はあと一つ向こうだった。



「バカねえ、ユウったら」
汗を滝のように流して一つ向こうのバス停から延々歩いてきた甥を学童宿舎の玄関先で迎えた彩子は、うちわで自分を煽ぎながら、高い声で笑った。
「バス降り違えただけだよ」
「まあお疲れさま。さ、あがってあがって。ちょうど昼時だから、あんた自己紹介しがてら食べなさいよ」
蒸れたバッシュを脱いでたたきにあがり、彩子のあとについて廊下を歩きながら、有志は周りを見渡した。どこの部屋からか、高らかな笑い声がしたかと思うと、他の部屋からはすすり泣く声が聞こえてきたりする。早々に帰りたくなっていると、どんとなにかが背中に背負ったリュックにあたった。見下ろすと、黒髪を二つにくくった女の子だった。
「だぁれ?」
「由香ちゃん。お昼ご飯の時間でしょ? どうしたの」
「たべたくない」
「ちゃんと食べないと、よくならないよ?」
 どこか他を見ているような遠い目をしている由香は、彩子に抱き上げられるとじゃあ食べると小さく頷いた。
「せんせい、そこのひとだれ?」
 由香を抱き上げた彩子の後をついて廊下を進んでいると、由香が口を開いた。まだあどけない声に反して、思いのほか口調ははっきりしている。
「この人はね、由香ちゃんたちと一緒に遊ぶために来たお兄さん。ほらユウ、手出して」
 言われて手を出すと、宙をふらふらと彷徨って、小さな手が有志の手をつかんだ。体温が高いはずの子供とは思えない、ひどく冷たい手は、強い力で有志の手を握った。
「おにいちゃん、手、あったかいねえ」
 由香は虚ろにさえ見える目で嬉しそうに笑って、小さな手でぎゅ、ぎゅ、と二度有志の手を握って離した。
「あのね、ゆか、目みえないの。だからね、おにいちゃん、ゆかがさがしてたら、手、にぎってね」
 それで視線が曖昧なのかと納得しながら頷くと、彩子が廊下を曲がった。
「今日のお昼ご飯はなにかな?」
 言いながら彩子が畳間に入ると、同時に小さな声や大きな声で、「そうめん」と返答があった。十二畳ほどの畳間には十人ほどの、下は四歳くらいから、上は十二歳ほどまでがいた。殆どが興味津々で有志を見ているが、二、三名はぼんやりと外を見ていたり畳目を見つめている。
「はい皆、こっち向いて。先生たちのお手伝いに来てくれた人を紹介します。はいユウ、自己紹介」
 背中を軽く押されて、一応廊下から何度も考えていた言葉を言う。
「高山有志です。二週間、ここの手伝いをしに来ました。よろしく」
 頭で考えていたことの半分も言えずに有志が自己紹介終えると、ぱちぱちとまばらな拍手が響いた。
「ユウ、早速だけど由香ちゃんにお昼食べさせてあげて。席はそこ。あんたも一緒に食べて。さあ皆、お昼食べて。残したらおやつあげないからねー」
「はーい」
 有志に由香を抱かせると、彩子は他の部屋の子のお昼もあるからとさっさと部屋を出て行ってしまった。残された有志は周りからの好奇の視線を浴びながら、慣れない手付きで由香を抱え直して、席に着いた。
 由香の食べる速度に合わせて手を動かしながら、有志は二週間やっていけるだろうかと、窓の外を仰いだ。
 天を向く向日葵と太陽と、垣根の向こうを通る、確かさっきバスに乗っていた見知らぬ少年が、一つの絵の様に見えた。



















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サイトが出来るより前に書いた初BLモノをこちらで掲載。 両性受ではありません。 『本』にて紹介している『溺れる魚は夢を見ない』の原型になったものです。


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