float fish 2
人に懐きにくい子たちだからコミュニケーションを大切にと言われていたにもかかわらず、子供たちは昼食が終わるなり有志に群がってきた。どうやら子供に好かれるたちらしい。満足に遊んでくれる相手のいなかった子供たちは格好の遊び相手を与えられてはしゃぎ、疲れるとすぐに寝た。
だが、目が見えないため有志の膝に抱かれたままほとんど遊びに参加できなかった由香が寝たくないと駄々をこねた。
「でも今昼寝の時間だろ? 寝ないと」
「眠くないもん」
すでに眠りこけている他の子たちを起こしてしまわないように小声で言うが、由香はいやいやと首を振るばかりで、下手をしたら泣きだしてしまいそうでもある。取り敢えずなだめて寝かそうと添い寝をすると、由香はすぐに落ちてくるまぶたを必死で開けて、眠くないもんと何度もこすった。
「あんまりこすったら赤くなるぞ。な、起きたら今度は由香ちゃんも一緒に遊ぶよ。約束する」
「ほんと?」
「ほんと」
「じゃあゆびきりして?」
小さな横腹をテンポよく手の平でたたきながら指切りげんまんをすると、由香はすぐに安らかな寝息を立て始めた。
そうして彩子に子供たちが寝たことを伝えてバスタオル借り、畳で思い思いの格好で寝そべって昼寝をしている子供たちにかけて回ると、有志はようやく一呼吸ついた。うちわを片手に縁側に座り込む。自覚はなかったが、どうやら世話好きなようで、来る前に抱いていた怠惰感はない。
ジーィジーィと鳴く蝉の声と、葉を揺らして吹き抜けていく風の音が、子供たちを優しく撫でていく。
垣根の向こうをさっきの少年がまた通った。地元の子だろうかと有志がぼんやりと思っていると、少年がゆるりと振り返って、有志の方を見た。
「だれ」
唐突に聞かれて有志がうちわを揺らす手を止めると、少年はふらりと向こうを向いて立ち去った。
「ユウ。起きてたの」
入れ代わりに洗濯籠を持った彩子が来た。家事となると有志が世話をするこの部屋だけではなく、他の三つの部屋の子供の分も合わさるので、たかが食事、たかが洗濯と馬鹿にしてはいられない。彩子の腕に抱えられた洗濯物も、それだけでも大量にあるがそれもまだ一部なのだろう。
「起きてるんなら頼みたい事があるんだけど、いい?」
「んー」
うちわを振りながら少年の去っていった方を眺めていると、彩子は聞いてるの、と有志の腕を叩いた。
「ここの子なんだけど、お昼からいないの。捜してきてくれない? スイっていう子」
手を振って立ち上がる。
「スイ? わかった」
彩子は年はあんたより二三下よと言って、縁側から庭に降りた。
「確か水色のシャツを着てたわ」
「水色ね」
子供たちを起こさないように忍び足で畳間を出る。廊下は静まり返っていた。音を立てないように玄関まで行き、バッシュを引っかけて外に出る。
何処にいるという検討はつかないが、取り敢えずバス停から学童宿舎までの道程はさっき迷って覚えたので、大丈夫だ。少し離れた所まで歩いていなかったら一旦戻ろうと歩きだし、有志はうちわを煽ぎながら誰もいない道を三十分ほど歩いた。
ところがその間会ったのは老人が二人と犬一匹。静かなはずだ。
見つけるべき水色のシャツを着たスイは見つからず、結局引き返すことにした有志は、三十分かけて戻る途中、歩んでいた足を止めた。
「…あんたスイ?」
行きがけに見たときは確かにいなかったのに、学童の宿舎から少し離れた砂浜の陰に、少年が行き倒れのように寝そべっていた。
ひんやりとした砂が心地よいのか、性別の認識を間違ってしまいそうに整った顔の白い頬を白砂に押しつけ、四肢を投げ出して、まるで死体のようだった。よく見ると、さっき垣根の向こうにいた少年だった。あの時捕まえておけばよかったと、一瞬有志は思ったが、暑さに茹だってしまっている頭で考えたその思考は、小さな一言で現実へと戻された。
「だれ…?」
少年は応えず、問う口調で小さく呟いた。
「彩子さんの手伝いできた。あんたスイだろ、彩子さんが捜してる。ほら帰るぞ」
有志が手を差し出すとスイはぎこちない動きで手をつかんだ。同時に、べたりとなにかが有志の手の平に押しあてられた。
───なんだ? 気持ち悪…。
だが振り払ってしまうわけにもいかず、有志は取り敢えずスイのからだを引き起こしてから、手のひらを見た。半透明の、ざらざらとした溶けかけの細かい粒子がキラキラと陽光を反射していた。
「舐める、だめ。おかしくなる。薬だから…」
背筋を悪寒が走るような細い声音で言うと、スイはくるりと背を向けて歩き出した。
陽炎の向こうに歩いていくスイの背中はそのまま揺れて大気に溶けそうに見えた。
得体の知れない溶けかけの粒子でべたつく手の平から、粒子が伝って指から垂れたことに不快を感じながら、有志はスイがどこかへ行かないように背中を見ながら学童の宿舎への帰途をたどった。
「おにいちゃん、どこぉ」
スイを先に中に入れて後ろ手で引き戸を閉めた有志は、廊下の奥から聞こえる泣きだしそうな声に、バッシュを脱ぐために俯けていた顔を上げた。スイは靴を脱ぐと、声も有志も無視して、風呂場に入っていった。
「おにいちゃぁん…どこぉ…」
危なっかしい雰囲気を漂わせて、目を放したらいなくなりそうなスイに気を取られていると、泣きそうな声にとうとう涙が滲みはじめた。慌ててバッシュを脱いで奥へ走ると、 案の定由香が畳間から出たあたりで目尻に涙をいっぱいためて座り込んでいた。
「由香ちゃん」
「おにぃちゃん…?」
声をかけて、宙を彷徨っている手をにぎると、由香は鼻をすすり上げて、ぎゅっと目を強くつむった。
「ごめんな、ちょっとおつかい行ってた」
「ゆか、おにいちゃんもういなくなっちゃったかと思った」
手についたべとべとのものがついてしまわないように注意しながら服を引き上げて涙をふいてやると、由香は幼い口調にあわない事をもらした。
「ママもね、ゆかがねてるときにいなくなっちゃったの。だからおにいちゃんもいなくなっちゃったかとおもった」
「…そっか。ごめんな」
抱き上げると、由香はううん、と細い首を振った。
「おにいちゃんはいるからいいの」
「ありがとな」
にこりと嬉しそうに笑った由香がひどく健気で、頭を撫でてやると、小さな頭は有志の肩に埋もれてうふふと笑った。
ここにいる子供たちは全員、親の都合や勝手で預かっている子供たちだ。それでも子供たちはいつかは両親が、親戚が迎えに来てくれると信じて笑っている。
由香の親はもういなく、親戚もいないと彩子が言っていた。由香はいなくなったものと思っているが、実際は昼寝をしていた由香の前で首を吊ったのだそうだ。あまりの驚愕にか由香の記憶にそのことはない。だから由香はそれを知らず、いつか誰かが迎えに来てくれるのを待っているのだ。健気に待ち続けているのだ。
それを思うと、同情のような憐憫のような、思い上がっているとしか思えない感情が沸き上がってきたが、それでもこの健気な子たちがせめて笑っていられるなら、このバイトも悪くないと有志は思った。
スイの入っていった風呂場で、ザアァァと雨のようなシャワー音が聞こえてきた。
ふと有志は、スイはなぜここにいるのだろうと、手の平についた半液体を見つめながら思った。
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