囚恋 6




 刑務官僚と言っても休みはきちんとある。
 久しぶりに取った休日に、ふと立ち寄った銀行で通帳の書き換えをした遠野は、一月毎に5000円だけ引かれている貯金を見て、伊勢は元気らしいと知った。だが、コンビニのバイトだけで食っていけるのかは疑問だ。それにプラス5000円しても、ぎりぎりか、赤字の生活だろう。
 ちゃんと食べているか、変な職業に走ってないかと心配になる。
 しかし、手紙に書いてあった子どもの父親がいる事を思い出して、遠野は明細書を握り締めて捨てた。
 遠野が心配しなくても、伊勢にはちゃんと食わしてくれる男がいる。大丈夫だ。
 自分に言い聞かせながら、遠野はそのまま銀行を後にした。
 釈然としない気持ちでいっぱいだった。
 一月毎に手紙は届き、エコー写真の中の胎児は大きくなっていった。最初はデスクのビニルの下に隠していたのだが、それが四枚ほどになってから、遠野は写真を仕事用の手帳の中に挟むようになった。
 暇になったときや、疲れたとき、写真を見る。すると、疲れが和らぐ気がした。だが見た後は必ず、もやもやとした気持ちになった。
 月ごとに大きくなる胎児は順調のようで、毎月のペースで行くと、今日頃に手紙と写真が届くはずだった。
 しかし。
「俺宛てのは無いか?」
「ないぜ。あれだろ、毎月送られてくる妹さんからの」
「…ああ」
「珍しいな、今月はまだ来ない」
 七ヶ月目を迎えるはずの11月に、まだ手紙は来ていなかった。
 それから一週間たち、二週間たち、三週間たっても手紙は来ず、やがて八ヶ月目になった。年が明けて九ヶ月目になっても手紙は来ず、まさか過労死や妊娠中毒などで死んではいないかと心配しながら通帳を書き換えると、毎月5000円ずつだった引き落としも、手紙が来た10月を最後におろされていなかった。
 心配でたまらない。
 約束していたわけではないが手紙は来ないし、金も引き落とされていない。流産したのかとも考えたが、五、六ヶ月を超えて流産はあまり考えられない。バイトも七ヶ月を過ぎたらやめると書いてあった。収入は無いはずだ。
 子どもの父親は、きちんと伊勢を養っているだろうか、まさか前の男のようにぞんざいに扱ってはいないだろうか。
 伊勢は、元気にすごしているだろうか。
 毎日そればかりを考え、仕事にも身が入らない。
 そしてやがて十ヶ月という二月の初め、遠野はたまっていた休暇を貰った。刑務所に出勤していれば手紙がきてもわかるだろうと、休暇を取らずにいたのだが、それをまとめてもらうと、二週間ほどになる。一週間分だけを貰って、遠野は今までに来ていた手紙を家に持って帰った。
 手紙はどの封筒にも送り先の住所と氏名はない。
 だが、うっすらと消印が残っている。
 それぞれ一月毎の日付が入った消印には車で二十分ほどの隣街の名と、その付近の地域名が書かれていた。
 細かい住所はわからなくても、これだけあれば聞き込みで何とかなる。
 手紙を片手に隣街の地区に車を飛ばした遠野は、郵便局近くに車を停めた。
 まずは、この手紙がこの区域からである事をたしかめようと思ったのだ。局員を捕まえて聞くと、そうです、ここの地区のですねと営業スマイルで応えてくれた。
 読みどおり、伊勢はこの地区にいる。
 最初は商店街にでも行って、聞いてみようかと遠野が商店街付近に車を回して停め、コートに手を入れて歩いていると、商店街近くの店の前で人だかりが出来ていた。何事だろうかと野次馬が群がっているのに引かれて一緒になって覗き込むと、ポストの前でしゃがみこんでいる人影がひとつあった。
 どうやら産気づいた妊夫らしく、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返している。その下にはうっすらと紅色の羊水が広がっていた。
「誰か救急車を…」
 破水している事に気付いた青年が声を上げる。他の野次馬たちはなにもしないので、遠野も仕方なく妊夫に近寄った。刑務官といえど、近頃では妊夫の囚人もいるため、こう言った場合の講習は受けている。
「大丈夫ですか、もうすぐ救急車が着きますから、それまでここに…」
 コートを地面に敷いてそこに寝かせておこうと、コートを脱ぎながら妊夫に声をかけると、すいません、と小さく謝罪して、彼が振り返った。
「…伊勢」
「遠野さ…」
 振り返った妊夫は、伊勢だった。
 痛みのせいか青ざめた顔をしているが、間違いない。
 思わず遠野が呟くと、伊勢も気付いたようで、はっと目を見開いたが、すぐに痛みに悲鳴をあげた。
「ぁ、ああぁっ」
「と、とりあえずお前の家に」
「と…遠い、から、ダメ…っ」
 切れ切れに言う伊勢は振り返るとぺたりと地面に座り込んでしまった。その下からじわりと羊水がにじみ出る。気のせいか、他の妊夫や妊婦たちより大きく張っているように見える腹を抱えて、伊勢はうう、と唸った。
「それなら俺の家に…!」
 救急車が遅いのを幸いと、遠野は痛みに喘ぐ伊勢を抱き上げると、そのまま走り出した。幸い車は近くに停めてある。
 助手席に伊勢を座らせて座席を倒し、地面に敷くぎりぎりで上げたコートをかぶせる。
「ちょっとあんた、どこ連れてく気だ」
「救急車がもうすぐ来るぞ」
 追いかけてきたらしい野次馬たちが口々に言うが、遠野は体勢が楽になったためか落ち着いてきた伊勢のドアをばたんと閉めると、野次馬に向き直った。
「俺の兄弟です。お騒がせしました」
 嘘も方便だと心の中で呟きながらさっと頭を下げて車に乗り込むと、なんだという顔をして散っていった野次馬たちから逃げるように車を走らせる。
 助手席では、変わらず伊勢が苦しんでいた。
「大丈夫か、もう生まれそうか」
「ま、だ…っ、まだ、だいじょ…あぅっ」
「もう少しで着くからな、まだ我慢しろよ…!」
 普通に走らせて二十分の距離を、十五分で走らせて自宅に戻ると、遠野は助手席ではぁはぁと息を弾ませている伊勢を抱き上げた。
「んん…っ、ごめ…ごめ、ね、遠野さん…っ」
 1LDKの部屋に伊勢を運び入れ、ソファに横たわらせると、伊勢が涙ながらに謝罪した。
「馬鹿、元気に産んでから謝れ」
 今はなによりも、出産だ。
 実技の経験はないが、机上での講習の知識はある。それを役立たせなければと、湯を沸かしてタオルを数枚持ってきてと準備をしていると、突然大きな声があがった。
「はぁ、あぁああぁああ!」
「伊勢っ!?」
 慌ててソファに駆け寄ると、脚を左右に開いて伊勢が息んでいた。体勢が悪いのか、踏ん張るべき脚がソファの背を蹴っている。ベッドに寝かしてやりたいが、後々休ませるときに使うため、今は使えない。
 咄嗟に駆け寄ってソファをソファベッドに変形させてもみたが、なんとなく頼りなく、力が入らない様子で、細い指でソファのシーツを握り締めていた。
 これでは、踏ん張りたくても踏ん張れない。
 どうしようかと迷った末、沸いた湯を大き目の鍋に張って少し離れた場所に置き、タオルもその横において万全の準備をした上で、伊勢の後ろ側に回りこんだ。
「伊勢、少し我慢しろよ」
「え…あ、んんんー!」
 後ろから伊勢の脇に手を回した遠野は、無理やり伊勢を起こすと、その背後に座り込んで脚の間に伊勢を抱え込んだ。そして、シーツを掴むだけだった手を握る。
 悲鳴をあげた伊勢は、斜めになって体勢が楽になり、掴むものが出来たせいか、息を荒げながらも、遠野を見上げて薄く笑った。
「ありがと、遠野さん…」
「どういたしまして。さあ頑張れよ。これで産めるはずだ」
「んっ、頭、下がってきたみたい…っ」
 体勢が楽になったせいが、ズズッと膣や子宮口を擦って出てくる赤ん坊を感じながら、伊勢が声を詰まらせて言う。
 頑張れ、と声をかけると、呼応するように叫び声が迸った。
「ぅあ、ん、んんんー……っ!」
 ぎりぎりと握ってくる手は痛いが、狭い器官から人間を産みだす伊勢はもっと辛いのだと言い聞かせながら腹を摩ってやると、辛そうだった声も自然と和らぐ。
「はぁ、は…ぅん、あ、はあぁあああぁあぁぁん…っ」
 息むたびに手を握ってやり、呼吸を整えているときは腹を摩ってやる事を繰り返しながら数時間が過ぎた頃、伊勢が、あ、と高い声を上げた。
「頭、頭出たぁ……っ」
 やっと、と思いながら腹を摩っていた手を下に伸ばしてみると、濡れた薄い髪と、小さな頭が手のひらに触れた。そろそろと伸びてきた伊勢の手も、髪に触れる。
「もう、もう生まれる…」
 嬉しさに声を弾ませながら呟く言葉に、遠野がそっと手を握る。震える指が、応えるように握り返された。
「もう少し、あと少し頑張れ。お前の子なんだ、お前が頑張って産んでやれ」
「ん…!」
 激励の声に応えて、伊勢が再度息みだす。
 手を握ってやりながら、遠野も今か今かと産出の時を待ちわびていた。
 そして、
「ふっ、うぅ、んんぁあああああァ…っ!」
 ほぎゃぁ、ほぎゃぁ…
 ひときわ高く伊勢が叫ぶと同時に膣が最大限まで開いて赤ん坊の体を羊水とともに生み出した。ズルッと生まれ落ちた赤ん坊はタオルの上に生まれ、ほぎゃぁと可愛らしい泣き声を上げる。
 あがった産声に、遠野は睨むように見ていた腹から顔をあげた。
「産まれた……っ」
「あ、あぁ…赤ちゃん…っ」
 感極まったように伊勢が声を出すのを見ながら遠野が手を伸ばして赤ん坊を取り上げ、近づけると、伊勢はぼろぼろと涙を零しながら生まれたばかりの我が子を抱きしめ、羊水で濡れた頬に頬を擦った。
 しかし。
「っあ…っ、また、来る…ぅっ」
 赤ん坊を抱いたまま再度襲い来た痛みに体を強張らせると、伊勢はそれでも子どもを離さず、力を入れないようにと震えている腕に抱いたまま息みはじめた。
「な…伊勢、双子かっ!?」
 エコー写真ではよくわからなかったため、今更ながら遠野が問うと、苦しげな息の下で、伊勢がうんと頷いた。
「ふた、ご…俺の赤ちゃん…っ」
「頑張れ、産んでやれるな?」
「うん…っ!」
 とりあえず赤ん坊を受け取って片腕で抱きながら伊勢の手を握る。
 確かに普通の妊産婦の腹より大きい腹は、未だ膨らんだままだった。
「ひぃ、ん、いひぃいっ!」
 息みに慣れてきたのか、上手くタイミングを掴んで息む様子を見ながら、今か今かと第二子出産のときを待つ。
「っふぅ、ぅ、んううー…っ」
 息むたびに苦しげではあるものの、伊勢は嬉しそうだ。
 やっと我が子に会えた事が活力になっているのだろう。
 やがて、最初の子が生まれてから一時間もたたないうちに、膣が内側からべこりと膨張し、裂けそうなほどにまで広げて、ずるりと頭が出てきた。
「せーのだぞ、伊勢、せーの」
「ん、せーの…んふううぅううぅううぅぅうぅっ……!」
 息をあわせて、伊勢が息む。
 程なくして、バシャバシャと残りの羊水とともに第二子が産み落とされ、すぐさまオギャアと元気な産声をあげた。
「はぁっ、っ…はぁっ…んんんっ」
 続けざまに伊勢は息んで後産を終え、胎盤を吐き出すと、ぐったりと体を遠野に預けながらも、手はふらふらと彷徨わせ、生まれたばかりの子どもを求めた。慌てて伊勢の背の下から退くと、さっき産まれた子どもと今産まれた子どもの臍の緒を切ってから白湯で洗い、先に生まれたほうを胸に抱かせてやると、尽きない涙を落としながら、伊勢は自分の乳首で赤ん坊の口元を撫でた。
 赤ん坊というのは不思議で、口元に触れるものを何でも含もうとする。
 唇に触れた乳首を感じたのか、小さな口はすぐに動いて、迷うことなく乳房を吸った。
「遠野さん、俺の赤ちゃん…」
「おめでとう、伊勢。よくやったな、見たとおり二人とも元気だ」
 いつか話していたように吸っていないほうの乳房を掴もうとする仕草を見ながら遠野が言うと、伊勢は涙で潤んだままの瞳を笑ませた。
「ありがと、遠野さん…遠野さんがいたから、俺赤ちゃん産めた。いなかったら…出来なかったかもしれない」
「おい、しっかり自分で産みながらそんな事言うな。この子達が無事に生まれたのは、お前が頑張ったからだ。」
 なにを弱気な事を、と苦笑しながら、ふぎゃふぎゃと淡い泣き声を立てる第二子の方をあやす。
「双子か…父親も喜ぶだろうな」
 今はこの場にいない男を思って言うと、伊勢はそうだね、と小さな声で言い、静かになった第一子を軽く揺らした。腹もいっぱいになり、うとうととまどろんでいる。
「この子は男の子だから…優威だね」
「ん?」
 産毛のような髪が生えている頭を撫でながら伊勢がぽつりと呟いた言葉に遠野がなんだ、と言うように喉を鳴らすと、伊勢はふわふわの髪に頬を擦りながら笑んだ。
「名前だよ。この子は男の子だから優威。そっちは?
 男、女、両性?」
「あ、名前か…待ってろ、…両性だ」
 いつのまにか泣き止んだものの、ぐずぐずとぐずっている赤ん坊の脚を軽く開かせて見ると、未熟すぎてわからないほどであったが、両方の性があった。
「じゃあ…楓でいいね。優威、楓…」
 愛しげに名を呼んで優威の額にキスを落とすと、伊勢は今度は楓、と手を伸ばした。
 優威を受け取って楓を抱かせると、伊勢は、楓、と名を呼びながら額にキスをする。
 そして胸を唇に近づけると、自然に自分から口を寄せて乳首を吸い始めた。
 ちゅ、ちゅ、と小さな音を立てて飲む我が子を見ながら、伊勢は、赤ん坊の白い頬を撫でた。
 穏やかなその風景を見ながら優威をあやしていた遠野は、ふと立ち上がった。
「お前の旦那さんに電話しておこう。もうこんな時間だ、心配してるはずだろう。何番だ?」
 伊勢を家に運んだのは昼過ぎだったが、気付けば九時を回っていた。
 すっかり眠っている優威を敷布団を幾重にか畳んで重ねたものに寝かせて携帯電話を掴むと、遠野は市外局番をプッシュした。
「い…いいよ、後で…後で自分でやるし…」
 しかし伊勢は番号を言いよどむ。
「馬鹿、子どもが産まれたんだ、早いうちがいいだろう。ほら早く言え」
 なにを言いよどむかと遠野が更に詰め寄ると、伊勢はんくんくと母乳を貪る楓を抱いたまま、体を小さく縮こめた。
「090-1234-56789」
「…なんだそれは」
 呟かれた番号に咄嗟に指を動かした遠野だったが、几帳面にも最後の9まで打ってから、伊勢がでたらめを言ってると気付いた。
 ふざけるんじゃないと液晶画面から顔を上げて伊勢を軽くしかろうと口を開くと、楓を抱いたままの伊勢が片腕をついて起き上がろうとしていた。
「馬鹿、まだ動くな」
「大丈夫。…俺、帰るよ」
「冗談言うな、旦那に迎えに来てもらえ」
 まだ膝を小刻みに震わせているくせに、気丈にも立ち上がろうとする伊勢に慌て、無理やり座らせる。
 伊勢は嫌がって離せと喚いたが、胸の中の楓がふえっと泣きそうに声をあげると、はっとして声を荒げるのをやめ、ごめんね、と呟いてよしよしと腕を揺らした。
「…なにをさっきから意地張ってるんだ」
 声に起きてしまい、手足をぱたぱたと動かして元気に動き回る優威を抱き上げてやりながら問い掛けると、伊勢は優威を貸してと楓を抱いていないほうの腕を伸ばした。
 伸びてきた腕に優威を抱かせると、伊勢は双子を胸に抱いた。
 大切な、命よりなにより大切な宝物のように。
「……旦那に電話して、迎えに来てもらえ。まだ辛いならここで休んでいていいから、連絡だけでも寄越すんだ、仮にもその子たちの父親だろう」
 双子を抱いたままだんまりになってしまった伊勢に説教するように言うと、伊勢は首を横に振った。
 そして、腕に双子を抱いたまま、小さく呟いた。
「…俺ひとりだもん」
 呟かれた言葉は短いながらも明瞭で、遠野は眉を顰めて伊勢を見やった。
 俯いていて表情はわからないが、喜楽の表情をしていない事は確かだ。
「…出てすぐに逢った男との子だと言ってなかったか」
 責める口調でないよう、アクセントに気を付けながら遠野が問うと、俯いたまま伊勢は小さく笑った。正確に言うと、声だけは笑っていた。表情は、わからない。
「嘘だよ、嘘。すぐに逢えるはずないじゃん。前科持ちってわかってて手出すやつなんていないよ。この子たちは俺の…俺だけの子。俺が自分で孕んだんだ」
 ね、と同意を求めるように我が子に言うと、伊勢は額にキスをする。
 しかし、遠野は嘘をつけと首を振った。
「一人じゃ出来ないことぐらい、小学生だって知ってる。伊勢。正直に言え、捨てられたのか、捨てたのか、それとも行きずり…」
 思いつく事を次々口にして問いかけると、伊勢は弾かれたように顔をあげた。
 静かに聞いていると思ったら、頬が涙で濡れていた。
「行きずりだよっ、腹ん中が空っぽで寂しくて…っ! だから…だから一目惚れした行きずりの刑務官に脚広げて精子貰ったんだよ…っ」
 一気に捲くし立てると、伊勢は堰が決壊したように泣き出した。
「さみ…っ、寂しかったんだよ、腹ん中空っぽで、いつも…! いいじゃんか、思い出に、惚れた男の種で出来た子ども貰ったってさァ!」
 言いながら伊勢は双子を抱きしめる。
 放たれた言葉に、伊勢が強姦されかけた日の夜に、言っていた言葉が脳裏を掠める。
 ―――…俺の中、からっぽだから…
「前科持ちの母親なんて可哀想って思ったよ。でも…賭けたんだ、これで孕まなかったら諦めるって…! だけど妊娠して…すごく嬉しかったんだよ。俺ひとりでも産んで育てるって思うくらい…だからお願い。……俺から、優威と楓…取り上げないで…お願いします…」
 叫ぶように言った言葉の羅列の語尾は掠れて、ひっくとしゃくりあげた喉の音が重なる。
 呆気に取られている遠野の前で伊勢はずりずりと体を動かして、正座をすると、産出の際に裂けたらしい膣から血を流しながら頭を下げた。
「おね…お願い、します…優威と楓…俺にください、取り上げないで…くださ…」
 ひっくとしゃくりあげながらも伊勢は気が違ったのではと思うほど同じ言葉を繰り返し、頭を下げた。しかし、その間も子どもを手放す事は決してなく、二人で合計五キロと少しの重みに耐えかねて震える腕で、しっかりと抱いていた。
「伊勢…」
 もとより、遠野に子どもを取り上げる気は更々ない。それを伝えなければとあっけに取られていた自分に叱咤して遠野が口を開くと、伊勢は最後の頼みとばかりに、羊水がたっぷりと染み込んだ布団に額をこすりつけた。
 動揺しきっているらしい。
 このままでは、まともに話も出来ない。
 すっかり伸びた髪を乱れさせて土下座したまま、うう、とうめくような泣き声を立てて、自分の腕から我が子をとられないようにとしている伊勢の腕を掴んで起き上がらせると、伊勢は涙でぐしょぐしょになった顔を上げて、遠野さん、と呟いた。
「お、お願い、します…俺にこの子たちくださ…」
「お前から優威と楓を取り上げる気はない」
 同じ懇願を繰り返す声を遮ってはっきりとした口調で言うと、伊勢は目を見開き、ああ、と嬉しげに声を漏らした。
「ありがと…ありがと、遠野さん…」
 涙で濡れた目を細めて笑み、びっしょり濡れた頬を赤ん坊に擦り付ける。
 たった一言で落ち着きを取り戻した伊勢を見ながら、しかしと遠野は続けた。
「条件がある」
「な…なに?」
 短いが、しっかりした声で言われて伊勢は怯えた様子で肩を竦めた。まるで子どもを守る野生動物の母親のような仕草を見ながら、遠野はごくりと唾をひとつ飲んでから口を開いた。
「その子たちはお前の子でもあるが、…その、俺の子でもある。だから」
「だめっ、お願い、お願いだから優威と楓を取らないで…!」
 恥ずかしさが先にいってしまい、つい回りくどい言葉で言おうとした遠野とすれ違って、伊勢が再び恐慌に陥りそうな声で叫ぶ。
 ストレートに言わなければ、今の伊勢には全ての言葉が恐怖だろうと思い直して一度呼吸をして己を落ち着かせると、遠野は双子を抱いたまま自分を見ている伊勢を見つめた。
「俺と結婚してくれ、伊勢」
「だめ、優威と楓は…。…?…」
 咄嗟に双子を強く抱きしめようとした伊勢だったが、すぐにきょとんとした表情をした。
「一時の過ちで放っておきたくない。…お前を抱いたのを後悔していない。結婚してくれ、伊勢…伊勢じゃおかしいな、…結婚してくれ、葵」
 いい直しを含めて三回目の求婚を言うと、伊勢はようやく意味を理解したようで、顔を真っ赤にして、
「でも、あ、あ……」と意味のない声を出した。
「ぜ、前科持ちなんか貰っても邪魔だよ、遠野さん。結構エリートなんだしさ…世間体とか大切でしょ?
 遠野さんならもっといいひといるよ。…俺の事なんか忘れていいからさ、考え直してよ…」
 ね、と先までの激昂は何処へ行ったのか、自信なさげな笑顔を浮かべ震える唇で言う伊勢の瞳に、徐々に集まってきた透明な水がたまり始める。
 それを見ながら遠野は首を振った。
「お前を捨てて赤ん坊を殺した男と同じ事をする男にさせないでくれ。大切にする。お前も、子どもも。世間体なんか関係ない、俺はお前と一緒に家族を作りたい。結婚してくれ、…葵」
 まだ名前での呼び名は慣れない。
 だけどいつか慣れる日が来るはずだ。
 伊勢が、小さくでも頷いてくれれば。
 まっすぐに目を見据えて言われた言葉に伊勢は動揺していたようだが、黙ったまま遠野がいると、堪えきれなくなったように涙を落とした。
「すて…捨てないでね、俺、俺頑張るから…っ、捨てないでね…」
 ぐすぐすと泣き出した伊勢に苦笑して、少し離れていた距離を詰める。
 すぐ近くで向き合うと、伊勢は涙が溢れてとまらない目に遠野を映した。
「プロポーズの言葉に捨てる捨てないを言うやつがあるか。…捨てたりなんかしない、大切にする」
 笑いながら言うと、伊勢は更に涙を落としながら、ありがと、と呟いた。
 そして遠野がおずおずと唇にキスをすると、小さくキスを返し、
「子どももいるのに、初めてのキスだ」と笑った。
 そういえばそうだと笑いながら、遠野は腕の中に伊勢を抱きこんだ。遠野の腕に抱かれた伊勢の胸の中では、生まれたばかりの二人の子どもが安らかに寝息を立てて眠っていた。
 これから始まる、光に満ちた日々を夢見ているような安らかな寝顔で。








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やっと終了。
長編にしては短く、短編にしては長いみたいな中途半端な長さですいません…orz

ちなみに、某サイト様に投稿した作品でした。


top ■ end