囚恋 3




 宿直室は鍵がかかる。
 入ってソファに腰掛けた遠野から離れた伊勢は、カチャリと鍵をかけてから、ソファに深く腰掛けた。
「昼飯は食ったか?」
「うん。今日はうどんとおひたしだった」
「いいメニューだな」
 自分のコンビニサンドイッチより数倍もいいと言うと、伊勢は声を立てて楽しげに笑う。しかし、そのまま静かになる。
 先ほどから様子のおかしい伊勢を伺いながら遠野がサンドイッチを齧っていると、ソファの上で膝をかかえて、伊勢が遠野をじっと見た。
「…あのさ。遠野さん、俺の措置書とか見た?」
「ああ。こっちに来た最初に日に、担当の分は見とこうと思ってな」
「じゃあ俺がここに来た理由わかるんだ」
「まあ、大雑把にだけどな」
「…俺の事、どう思った?」
「どうって…」
 脳裏に、パソコン打ちで簡潔に書いてあった『乳児死体遺棄』『出産後、産児を○○県山中に埋め、遺棄』の文字がさっと走る。
 残酷な、凄惨な事件だ。
 今考えると、二年程前にやっていた事件で、ニュースにもなっていたことを思い出す。
 あの時遠野は、犯人を憎んだ。見ず知らずの人間でしかなかったが、幼い命を軽軽しく扱って、と怒りを覚えたのだ。
 だが、今目の前にその犯人がいても、なぜか遠野は怒りを覚えなかった。憎しみもなかった。
 ただ、目の前にいる少年の胸中を思っていた。
「なにがあったんだろうなって…思ったな」
「知りたい?」
 いつのまにか俯いた視線は、静かに床を見ている。
「…どうとも言えないな」
「じゃあ…俺が話したら聞いてくれる?」
 こういった施設に収容されている人間は、時に他人に自分の過去を話したがる。可哀想だね、がんばったんだね、と言って欲しいのではなく、ただ聞いて欲しいらしい。
 確か講義でも習ったなと遠野が思い出しながら、しかしそれでもその教訓を守るというのとは別の気持ちで頷くと、ほっとしたように伊勢の視線が遠野に少しだけ向いた。
「ありがと」
 短い言葉にどういたしましてと返すと、伊勢は少し笑った。
 それからしばらくして、伊勢は静かに口を開いた。




 三年前、自分は荒れに荒れていたと伊勢は言った。そうして、小さな声で、馬鹿だったからと呟いた。
「援交してたんだ。学校行くのも嫌だし、親もいないし…あ、十四のときに死んだんだ。事故ってさ…それで、毎日遊んで、毎日援交して、遊びまわってた」
 懐かしむような、過去の自分を恥じているような、そんな表情で伊勢は言いながら、抱えていた膝を下ろして、床を指先でなぞった。
「で、そん時に、すごく金払いのいいオヤジがいたんだ。一緒にいるだけで三万、キスしたら五万、フェラしたら七万、セックスしたら十五万」
 すごい儲けたんだぜ、と伊勢は笑う。だけどその笑いもすぐにため息のような、あきらめのような笑みでうっすらと消えていき、やがて笑いも消える。
「金がなくなったり、援交できない日はそいつ呼んで、フェラしてた。…ほら、俺両性だからさ、毎月生理あるわけ。だから。すっごいいい金ヅルだったよ。でも、ある日いきなりぽんと百万もらったんだ。なんでって聞いたら、『妊娠してくれ』って言われた」
「恋人になってくれとかじゃなくてか」
「そんなじゃないよ。妊娠して、俺が腹でっかくなるの見たかったんだって。で、それを産むのも見たかったんだって」
 妊夫フェチだよと笑いながら、伊勢は自然な仕草で手のひらを腹に置いた。無意識のようで、それを遠野が見ても手をどける事はなかった。
「…俺馬鹿でさ。金持って逃げりゃよかったのに…やめればよかったのに、金貰えるって思ったら、いいよって言ってた。で、セックスして妊娠した。15の時…だったかな」
 指を折って数えるが、細い、普段は器用に裁縫をしている指は三本しか曲がらない。つまり、三年前。
「オヤジのことは別に好きじゃなかったけど…産まれたら、ちゃんと育てようって思ったんだ。私生児なんて珍しくもないし…子ども好きだからいいかなって思ったんだ。…家族、欲しかったし。でも、そんなの甘かった」
 ぎゅっと、腹に置いた手がにぎられる。ダボダボの作業服の下の平らな腹を拳で押しながら、伊勢は俯いた。
「…九ヶ月のとき…いきなり俺拉致られたんだ。検診行った帰りでさ、…順調ですよって言われて、すごく嬉しかった」
 来月だった予定日、今でも覚えてると伊勢は少しだけ口をゆがめて笑った。
「気付いたら、山ん中だった。落ち葉の上に寝かされてて、そのままヤられた。誰だろうって思ったら、あのオヤジだった」
「父親だろ?」
「そうだよ。知ってる? 精液って、出産を早める効果があるんだよ。そいつそれ知っててさ…すげえ出すの、俺の中で。早く産めって」
「……」
「三回…五回かな。中で出されたら、いきなり陣痛始まっちゃってさ。すげえ痛いの。他の事考えられなくなるくらい。でも、そいつそれで興奮してヤリまくって」
 そこまで言うと、伊勢は一旦言葉を切って、浅く息をした。そして、ゆっくりと口を開いた。
「赤ちゃん出て来てるのに突きまくって…やっと生まれたら、そこら辺に捨てやがった」
 静かな、冷えた憎悪の声だった。
 ぽつりと言うと、伊勢は下腹をゆっくりと、そっと撫でた。
「まだへその緒繋がったまんまなのに、俺の中で何度もイってた。気持ちいいって」
 それでも伊勢は手を伸ばして子どもを抱いたと言う。弱い泣き声を立てる体を抱いて、さすってやった、震える唇に乳首を含ませると、熱い口腔が動いて、吸い付いてきたと言う。
 思い出すように愛おしむように、生まれたばかりの我が子を語る伊勢の声はやわらかく、優しかった。
「んくんくって、音立てて飲むんだ。飲んでないほうは手でつかんでさ。ふたつとも自分ものって主張してるみたいに」
 伊勢の胸は、膨らんでいない。Tシャツの下のまっ平らな胸を自然に見ると、伊勢は、貧乳だったからすぐに縮んじゃったと笑った。
「でも俺体力なくてさ…ヤりまくられて、気付いたら気失ってたんだ。気付いたら車の中だった。赤ちゃんは…外で死んでた」
 羊水とかで臭いから捨てたんだって、と伊勢は言った。
「冷たかった。さっきまで暖かくて、俺の乳首吸ってたのにさ、すっげえ冷たくて…まだへその緒もついてて、胎盤とくっついてた」
 抱き上げた赤ちゃんの半開きの口に、伊勢は自分の乳首をあてたと言う。張った乳房から溢れる乳が大量で、小さな口腔をすぐに満たして溢れたと伊勢は静かに呟いた。
「…男は?」
「死体は乳も吸ってくれねえから、さっさと埋めてこいだってさ。そしたら俺が吸ってやるって笑ってた。…馬鹿だよな、死んだら吸ってくれるわけないのに。俺が気失ったから死んじまったのに…っ」
 詰まった声のあとに、ひっくとしゃくりあげる声が響く。俯いた伊勢から雫がぱたぱたと落ちてきて、薄汚れた作業服の膝に散って染み込んだ。
「名前…っ、名前、も、つけてあげられなかった…両性の子でさっ…可愛かった。俺と…一緒で、首にちっさいほくろあって…っ、がんばって…がんばって俺の吸ってたのに…っ」
 ひっくと大きくしゃくりあげると、伊勢はここに入ってから一度も切っていないと言っていた、今では肩甲骨に触れるほどまでに伸びた髪を掻き揚げた。
「…埋めたんだ、埋めないと、ヤり殺してやるって言われて…怖かった。俺の赤ちゃんなのに…俺から産まれたのに、俺が埋めたんだ。俺が殺したんだ」
「お前が殺したんじゃない、その男がやったんだ。何で起訴しなかった」
「俺が悪いんだ。全部。援交なんかして、金目当てで妊娠なんかするから…だから俺が殺したようなもんだろ」
「それでもお前は被害者だろう!」
 つい口調を荒げて怒鳴るように言うと、涙に濡れた伊勢の目が細められて、うっすらと笑んだ。
「…被害者は俺の赤ちゃんだけだよ。俺も、あのオヤジも加害者。俺なんか現行犯。いいんだ、…俺はここに来てから、ずっと考える事が出来たし。ここ出たら、ちゃんと生きてみる。いつか俺が赤ちゃん産む事になっても、もう後悔しないように…」
 笑んだ目をすっと閉じて、伊勢はそのままずるずるとソファに寝そべった。
「おい、伊勢…」
「話しすぎて疲れちゃった。少しだけ、寝てていい?」
「……昼休みの間だけだぞ」
 部屋に戻って寝ろと言いかけた遠野だったが、薄く開かれて遠野を見た目がまだ少し濡れているのを見つけてしまうと、それも言えなくなった。
 渋々といった許可を降ろすと、伊勢は小さな声でありがとと呟き、そのまま静かに眠りに落ちていった。
 頬に残る涙のあとがブラインドの隙間から差し込む光にきらきらと光るのを見ながら、遠野は昼休みが終わってもその場を動けずにいた。








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暗い話って書きやすい気がします。
明るい話が好きなんだけどなぁ…。


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