さいごのしずく










 それを見たのは、暇つぶしに寄って見た裏競売場の舞台の上だった。
 白い肌を惜しげもなくさらしたそれは、硝子の様に感情のない瞳を眼窩にはめ込んだ人形のようだった。薄い肉付きの脚を左右に開かされ、珍しいつくりの性器をさらされても、虚空を見つめる瞳には哀しみや恥らいの色は決して浮かばず、それどころか平然としていた。
 五億で、俺はそれを買った。
「名前はなんや」
「リン」
「どないな字や」
「凛然の凛」
「そんなら凛、よう聞きや。お前は俺に、五億で買われた身や。せやから俺によう尽くせ」
「わかりました」
 欠片ほども表情を崩さず、凛は俺のものになった。
 それからすぐに抱いた。
 競売場の舞台で、幾人もの頭越しに見たやわらかそうな性器に触れ、弄り、嬲り、そして挿入した。
 初めてのことだと言った割に凛は泣かず、ただ弱い力で俺の首に腕を回していた。慣れてるんじゃないかと俺は思ったけれど、あとで敷布が汚れていたのを見て、初めてだったんだと理解した。
 初めて抱いた日から三日後に、俺はまた凛を抱いた。それからはほとんど毎日抱いた。
 羽のように左右に均一に広がった鎖骨の淵を噛んで、細い二の腕の柔らかい皮膚を舐めて、手のひらを置けば鼓動がわかるほどの厚みしかない小丘のような胸を揉んで、俺を納めている薄い腹を撫でて、透明な蜜を吐き出しては震える芯を手のひらで擦って、やわらかく俺を挟む花に包まれ、そうして何度も接吻をした。
 飽きることはなかった。
 俺が手を出して、凛はそれに抗わずに抱かれて、寝る。
 同じ行為を繰り返し繰り返し、けれど一時たりとも俺は飽きずに白い体を抱いた。貪るという表現が生易しく思えるほど幾度も、幾時も抱き、中に放ち、疲弊しきった腕に抱えられて眠った。
 やがて凛は薄い腹を膨らませた。
 周りのやつらは、許婚がどうとか、跡取りがどうとか、五月蝿かった。
 だから俺は凛にだけ聞いた。
「お前、どないしたい」
「産む」
 産みたい。産んでもええの。産んだらあかん?
 俺が予想していた答えを飛ばして、凛はただ当たり前のように短く言って、少し笑った。
「会うてみたいから」
「そやな」
 せっかく授かった命だ。わざわざ死なせる必要もなく、俺も凛の言うように会ってみたいと思った。
 それから四ヶ月と少しして、凛は双子を産んだ。
 最初に生まれたのは両性で、次に生まれたのが男。両性は藍、男のほうは征史朗にした。
 十五年、なにもなく過ぎた。
 凛はずっと俺の傍にいた。藍も征史朗も特に問題なく育った。
 ある日、征史朗が俺の部屋に来た。
 凛によく似た切れ長の眸で俺をじっと見て、征史朗は簡潔に用件を述べた。そこまで母親に似ていた。
「藍、抱いたで」
「ほんまか」
「ほんまや」
「同意か」
「そや」
「そんなら別にええ」
「孕んでもええか」
「藍がええんや言うんなら別にええ」
「ほんまか」
「ほんまや」
「そか」
 それだけやと言って、征史朗は部屋を出て行った。
 それから、三日後だった。
 川野辺会の鉄砲玉が、征史朗を狙った。
 凛も藍も俺もその場にいた。
 けれど、鉄砲玉の野郎は征史朗を狙った。
 現組長である俺ではなく、数年後には双肩に高槻組を担ぐことになる征史朗を狙った。
 凛が藍を庇ったのと、俺が征史朗の前に出たのが、ほぼ同時だった。
 五発だった。
 四発は征史朗を狙い、一発は藍を狙っていた。
 三発は俺の胸の中央の辺りと心臓の真横、こめかみを抉り、一発は外れた。
 藍を狙った一発も、凛の着物の裾に穴をあけただけですんだ。
 ああよかったなぁと思った次の瞬間に目を開けたら、凛がいた。珍しく眉を寄せて、俺の嫁は泣いていた。
「死ぬか思った」
「お前になんも言わんと死ぬるわけないやろ」
「そやね」
 凛は少し笑って、また少し泣いた。
 それから凛は、一日に一度、二時間ほど家に戻り、それ以外は俺の病室で過ごすようになった。
 二日ほど、凛は泣いていた。
 脊椎をやられて、俺は己で動けなくなっていた。
 けれど、口は利けたから、凛に言った。
「笑え。俺は、最期までお前の笑うてる顔が見たい。あかんか」
「…ええよ」
 そうして、凛は泣かなくなった。
 俺と一緒に起きて一緒に食事を摂り、検査の度に付き添っては、結果を聞いてひとりになる。暫くして戻ってきて、しばらく話して眠る。
 その一連を、俺と凛は二十四回繰り返した。
 けれど、二十五回目は終わりきれなかった。
 突然体が痙攣しだしたのを感じた。俺は口に呼吸器をつけられて、白衣の医者たちに取り囲まれた。
 首を振る医者たちを分けて、凛が来た。
 俺が買っためずらしいつくりの嫁は、泣いていた。
 いつでも整然とした顔をして、名前のように凛とした居住いをした俺の嫁は、静かに静かに雫を落として、唇を噛み締めていた。
 けれど、俺は声を出して、その泣き顔を消した。
「笑え、凛。お前の笑うとる顔を見て、俺は逝きたい」
「…ええよ」
 いつしかと同じ声を返して、凛は笑った。
 長い睫が少し下がって、少し端の上がった眸が細くなる。その細い隙間からきらきらと光る双眸と、そっとカーブを描く唇、白い頬。俺はその笑顔が好きだった。
 痛覚を失った手を、凛が撫でた。
 不思議と暖かい気がした。
 なあ、凛。
 お前、幸せだったか。
 俺はお前を幸せにしてやれてたか。
 なあ、凛。
 俺は幸せやった。
 舎弟は死んだし、親父も逝ってもうた。裏切りも謀略も感じてきた。
 けど俺は幸せやった。
 お前が隣におって、俺は幸せやった。
 春も、夏も、秋も、冬も、お前と一緒に居れて幸せやった。
 俺が生まれたときにお前が居らんかったのは悔しいかも知らんけどな、俺が死ぬるときに最期に見ていられるのがお前でよかった。
 なあ、凛。
 なあ―――…。



 ピー、と線のような音が響いた。
 静かに、苦しみなど微塵も感じない様子で目を閉じた男の手を撫でながら、凛はその音を聞いていた。
「征一さん」
 医者が回りこんで征一の脈を取り、死亡時間を確認するのをまったく気にせず、凛は微笑みながら征一に声をかけた。
「あんな、征一さん」
 力を失った、けれどまだ温もりのある大きな手を両手で挟む。
 抱き寄せてくれた大きな手。この手のひらは、いくつもの命を奪い、凛を慈しんだ。
「あんな、征一さん。俺もな、もうすぐ逝くわ。すぐやから、少しだけ、待っとってな」
 そっと、凛は微笑んだ。
 ようやく涙が浮かんでくる。
 徐々に体温を失っていく手のひらを己の頬に押し付けながら、凛は一粒だけ頬に涙を滑らせた。



 いつまでも、微笑んでいる。
 あのひとが望んだから。
 あのひとが望むことなど何一つ出来なかった自分だけれど、微笑むことは出来るから。
 だから、この雫は俺が流す最後の雫。



 最期の、雫。
















----------


オチてなくてスイマセン…。
突如として書きたくなりました。

方言のツッコミはなしの方向でお願いいたしますです…!!


top ■ end