慈しみの花 17
花が舞い、紙吹雪が空から降り、歓声と拍手に満たされた成婚の儀は日暮れとともに終わった。街は祭りになだれこみ、王宮では各国から集まった代表者たちの宴が行われた。やがて夜も更けて宴もたけなわとなると、貴賓宮の一角に宛がわれた宮に下がった昂天は、酒に浮かされた頭を抱えて長椅子に座り込んだ。卓子には水差しと碗が置かれており、冷水で喉を一度潤すも、既に酒に焼けた喉には付け焼刃でしかない。
ほんのりと熱を帯びた額に手のひらを当てて天井を仰ぐ。光を溢れさせている灯篭の細工をぼんやりと眺めていた昂天が、こんこんと響いた音に誰何をあげると、双子の弟の声が応を寄越した。
「失礼しますよ…今日はやけに飲んでいましたね」
「俺より、呼桜殿の方が飲んでいただろ」
「呼桜は笊ですからね、あれぐらい、飲んだうちにも入らないでしょう」
勧められるがままに一杯二杯と杯を重ね、気付けば両手では足りないほどの量を飲んだ昂天はさすがにくらくらと頭の芯が痺れる感覚を味わった。しかし自ら進んで杯を重ねていた呼桜は、両手どころか両足の指を足しても足りないほどを平らげたにも関わらず、足取りひとつ危うくなることはなく貴賓宮の一室へと帰っていった。
酒臭いのは困りますがと笑いながら向かいの長椅子に座した昂地はゆったりとした仕草で脚を組み、背にもたれた。
「それで…どう思いました、昂天」
「真那のことか」
「他にありますか?」
「…正直、訳がわからない。俺は、真那から直接聞いたんだ。嵐に行くと」
まだ見ぬ隣国の王に恋焦がれたのだと告げた唇は、淡く微笑んでいた。
「あの子も嘘が上手いですね」
「真那が俺に嘘を? そんな必要ないだろう」
「それではあの姿は?」
「…わからない」
髪は切られ、鮮やかな衣装の代わりに官服をまとい、白い手に似合わない武器を持った姿は、しかし真那だ。まだ柚の胸から乳を飲んでいた時分から今まで、途切れることなく見守ってきたのだ。見違えるはずもない。
酒精に浮いた頭の深くがじんと滲んだような痛みを訴えることよりも、もっと違う苦悶が昂天の眉間に深い縦皺を刻ませる。
「真那は嘘をつかない。あれは、真っ直ぐな性質だ。…嘘など」
どんな微細な偽りも、あの唇から零れたことなどないのだと昂天が声を絞り出すと、昂地は空いた碗に水を注いで、こくりと一口飲んだ。
「真っ直ぐなのはどちらですかね、昂天」
「含みがあるな」
「たっぷりね」
「……腹が立つ」
「誰にですか?」
「お前と、俺」
「私も? 心外です」
まったく同じ顔をしているはずなのに、昂天と昂地は間違えられることが殆ど無い。それはきっと、浮かべる表情が全く異なるからなのだろうと初見の人間でもわかるほど、昂天には無い飄々とした笑みでわざとらしく肩を竦めた昂地は、背を背当てに預けた。
「本当は私より、自分に腹が立っていますよね」
「…敢えて順位をつけるとしたらな」
「忘れてはいけませんよ、昂天。真那は、あなたではないんです」
「どういう意味だ」
目の前の昂地は、憎たらしいほど余裕を浮かべている。血を分け合った自分は果たして、今これほどの余裕を持つことが出来ているのだろうかと考えながら碗に残った水を飲み干すと、双子の弟はにこりと笑んだ。
「真那はとてもいい子だと、私も思います。だからこそ、偽りを言ったのでしょう。嘘と偽りは、異なります」
「同じだろう」
「いいえ、まったく違う」
「……わからない」
「嘘は、口から出た虚、偽りは、人の為に零れた言葉です。…違いがわからないなら、真那は、可哀想な子だ」
「だが、嘘は嘘だ。人の為など…方便でしかない」
「真那の言葉が嘘か、偽りか、方便かは真那にしかわからないですよ。あなたと真那は、他人ですから」
「………真那は、他人なんかじゃ」
「他人ですよ。私も、あなたも他人です。もちろん、私と呼桜は夫婦ですが、他人です。人間は皆他人です。だから心がわからなくて、様々になるではないですか」
「それは…」
「心がわかるなら、誰も悩んだりはしないんですよ」
言葉に詰まる昂天の語尾に声を被せた昂地は、さてと一声発して立ち上がった。
「私は戻りますよ。そろそろ呼桜も眠った頃でしょうしね」
「ああ」
それでは、と腰をあげた昂地はきしりと床板を軋ませながら室を出て行った。
ひとりになった室の床には、窓から差し込んだ月光が仄かに輝いている。いつしか真那と二人で見た月光は美しかったはずなのに、今はこんなにも網膜をやくような痛みを覚えるのを苦々しく思いながら、昂天はずるずると長椅子に寝そべった。優しく闇夜を照らすはずの月光から逃げるように、手のひらで目許をすべて隠して。
top : next