慈しみの花 14










 狼煙が上がったのは、翌日の早朝だった。
 不幻本拠地から馬で八半刻という距離まで迫り、本拠地を挟んで反対側に潜んでいる呼桜に遣いを寄越した昂天は、静謐に満ちた朝靄の中、狼煙が立てるドォンという地響きのあと、露に濡れた草の合間から立ち上がった。
「無益な殺生はするな、可能な限り捕えろ。だがお前達の命を賭すつもりはない、総員生きて帰れ! 突撃!!」
 怒号にも等しいほどの声量で檄を飛ばすと、雄叫びを上げた兵士達が我先にと本拠地へ雪崩れ込んでいく。自らも馬を駆り、腰に佩いた剣を振り上げて敵陣に乗り込んだ昂天は、暫く猛然と剣戟を繰り返し、やがてドオンと響いた狼煙に釣られて空を見上げ、その先に青い煙を認めた。そして降ろした視線の先に蜘蛛の子を散らすように散開していく不幻の団員と、活気だって得物を振り回している自軍と呼桜軍の兵士達の中、一際目だって大暴れをしている猛者を見つけて荒い息を吐いた。
 幼い頃からの友人であり、今回の討伐隊統率者である呼桜は高い位置で結った艶やかな黒髪を振り乱し、細身の身体をしなやかに動かして両手に持った剣先で鮮やかな軌跡を描きながら捌いている。顔立ちだけは母親である斉妃伊鈴に似ているが、その動きたるや一国の姫などではなく、身に纏った甲冑も勇ましい武人のそれだ。
 自らよりも遙かに体格で勝る相手に勝機のある戦いを挑み、易々と勝利しては後続につく部下に縄をかけさせている幼馴染の傍まで馬を寄せると、呼桜も気付いたように視線を昂天に向けた。
「呼桜殿」
「ああ、昂天か。やはり先んじて吉だったな」
「ええ」
 黙って優美な服でも着れば十分に姫でも通るような顔を泥と血と汗でどろどろにしながら快活に笑う呼桜に頷きながら、喧騒の最中である周囲を見渡す。突然の襲撃に茫然としているもの、とりあえず逃亡を図るもの、状況はいまいちわかっていないものの、敵の襲撃とは認識して得物を持つもの、既に縄にかけられて転がされているものと、不幻の団員たちは混乱に叩き込まれた状態だ。
「見ろ、この混乱と喧騒を。こやつらも今日を持って仕舞いだ。設立二十周年を三日後にして、残念なことだな」
 ぶるると嘶く馬を宥めるように手綱を繰りながら片方の口角だけを上げて皮肉を唇に浮かべる呼桜は、その間も意味をなさない喚声をあげながら獲物を手に切りかかってくる男を両手に持った剣で薙ぎ倒した。昏倒しながら悲鳴を上げる男が倒れた酒瓶から零れた酒に頭から浸かったのを見下ろしながら顎を引いた昂天も弓をつがえ、呼桜の後ろを狙って弦を引く弓士の腕を射た。
「本当に残念なことですね。不幻筆頭は見つかりましたか」
「ああ、先ほど俺の副官に与えていた狼煙が上がった。青い煙があがっただろ、あれだ。砦を突破したらあげるように言っていたんだ、そろそろ制圧する頃だろう。見つけたら今度は赤の狼煙を…」
 ドオ…ン!
 朗々と響く声を零す呼桜の声を遮り、本日三度目の狼煙の爆音が響く。音の方向を見ると、赤の煙がふわふわと漂っていた。
「あの通りだ」
「なるほど。見つけたようですね」
「そうだな。さあて昂天、あと一息だ。あやつらさえ片付けてしまえば、後は小童のようなもの。こんな難件は早々に始末して、互いに嵐国式典に参加しよう」
「…そうですね」
「そうとなれば、急くぞ!」
 ふわふわと空に浮かぶ赤い煙に触発でもされたのか、声を張り上げて突撃と叫んだ呼桜は、部下を引き連れて喧騒と砂埃に塗れた砦の方向へと消えていった。
「ああああ!!」
「……」
 喚声を上げながら切りかかってくる不幻団員を、馬上から薙ぎ倒す。ぐるりと周りを見渡した昂天は、捕えられて縄に巻かれている団員の数が増えてきた戦場を見つめた。
 もうじきこの戦いは終わる。民を苦しめ、虐げた非道の輩どもは征伐される。それは素晴らしいことだと、王族である珪家に名を連ねる昂天は思った。この件が済めば、なによりも大切に慈しんできた子が、無事に嫁することが出来る。何者にも阻害されず、幸せな式を迎えさせることが出来る。それは真那に名を与えたときから妹のように、弟のように、我が子のように接してきた昂天ならば、非常に喜ぶべきことだ。
 しかし、まだ胸の靄は晴れず、鼻をさすような血の匂いだけが脳の深い部分をじんと痺れさせた。
 遠くで、呼桜の「敵将とったり!」という高らかな声が響いていた。











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