慈しみの花 1
暦五三〇年。
広大な大陸の東を大きく陣取る珪国の第十二代珪王昂稀(コウキ)の御代になって十五年が過ぎた頃、珪王昂稀が正妃柚(ユズ)との間に設けた第二子、昂天(コウテン)の初陣があった。初陣とは言えども戦乱の世にあるわけでない為に他国との戦ではなく、自国で村々を襲っては略奪と殺戮を繰り返す賊の征伐だった。
昂天は父親である昂稀に似て天賦の才と言うほどに剣技に長けており、その才を活かし、賊を鎮圧させた。
ザ、ザ、と揃った蹄音を響かせながら山の中腹を降りる大隊の先頭を進んでいた昂天は、征伐した賊の返り血を浴びながらも、馬に揺られながら微笑んでいた。
「御機嫌が宜しいですね」
「当たり前だ。帰ったら柚空に会うんだ。母上似だといい」
父である昂稀に命じられて、珪国東北部へ賊征伐に立ったのが一月前。二週間で戻り、生まれてくる弟か妹を家族で祝うつもりでいたのに、賊が思った以上に北へと移動しており、それを追っているうちに一月になってしまった。
一月かけて追いついた北の村で賊は既に残虐の限りを尽くした後であり、賊を捕らえて征伐したあと、老若男女問わず殺害された村人たちの遺体を丁重に葬った昂天は、行きが急ぎだったのだから、帰りは体を休めながらという父からの文に甘え、のんびりかえるつもりだった。しかし三日前に届いた早駆けの伝令から受け取った文には、兄である史昂の印と母子の無事、名前は『珪杏鋳柚空(ケイ・キョウイ・ユア)』ということ、既に父は柚空を抱いて離したがらないほどに可愛がっていることなどがしたためられていた。その為、途中少しの遠回りをして観光をしようと思っていた街へは寄らず、早道になる山道を進んでいた。
普段なら遠征などには既に官として宮中で活躍している長兄の史昂が出向くが、今現在宮中を離れているのは昂天だけだ。
自分だけが末の兄弟の顔を見ていないと思うと、悔しいような、それでいて無事に生まれてくれて嬉しいような気持ちが胸中を巡る。
父似だろうか、母似だろうか、性別はどちらだろうかと思いながら馬を進ませていた昂天は、ふと耳朶を滑っていった物音に視線をめぐらせていた。
獣が立てるものではない、明らかに意図して隠れ、その際に立ててしまった響きの音。
上官が馬を停めたのに気づき、ほかの兵たちも馬を止め、静寂が山道を支配する。
静寂を破るように、けたたましい泣き声があがった。
「ぁあーん、ああぅー」
「こら、テメェ…!」
ガサガサと草の擦れる音が、昂天のちょうど右斜めから響いた。
「喩涼(ユリョウ)」
「御意」
昂天の右斜めには、大隊を父から拝受した際に副官としてつけられた燵喩涼(タツ・ユリョウ)が控えている。
主の声に喩涼は一言で応をあげると、手にした剣で草を分けた。
研ぎ澄まされた剣の先で拓かれた先には、小さな口を薄汚れた手で塞がれて力なくもがく赤子と、顔から腹にかけて血を飛び散らせた男がいた。男の後ろには細い首から鮮血を迸らせる若い女が背中を樹木に預けて座り込んでおり、薄く開いた瞼の隙間から見える瞳には、既に光はなかった。大方、先に昂天たちが訪れた、村人全てが殺害されていた村の唯一の生き残りだったのだろう。着ている着物は土や血で薄汚れ、裸足に履いた沓はぼろぼろに破けていた。
男は鋭い剣先が己に突きつけられているものと知るや否や眉根を強く寄せて深い皺を作りながら馬上の昂天を睨みあげた。
物怖じしない様子の男の剥き出しの肩に彫られた刺青を見ながら、昂天はゆっくりと口を開いた。
禍々しい模様の刺青は、つい先日討伐した賊の者たちが揃って体に彫り付けていた模様と同じものだった。
「…報告の人数より一人足りないと思った。お前か、騒ぎに乗じて逃げ出したのは」
「うるせえ。ガキの死体が見たくなかったら、とっとと行きやがれ」
男の手には既に血に塗れた得物があり、その切っ先は襤褸切れをまとった、まだ生後一月もいかなそうな赤子に向いていた。
人道から逸れた男の物言いと思惑に、獅子王と渾名される父親によく似ているといわれる双眸が細められる。
「赤ん坊の死体を見る気はないが、お前の死体なら見てやってもいい」
「なんだとっ」
細めた目で馬上から見下ろす昂天の淡々とした物言いに弾かれたように男が顔つきを険しくする。
その瞬間、男の後ろでガサリと草が擦れた。
反射的に男のくびが後ろを向き、しかしそれきり前を向くことはなかった。
捩られた首を馬上から剣で貫通させた昂天は、剣の柄を握ったまま馬から下りた。
男は首を貫かれても生きてはいたが、既に事切れる手前であり、剣を抜かないまま柄から手を離し、ガタガタと瘧のように震える腕から昂天が赤ん坊を抱き取ると、隙間風のような声を喉奥から発して事切れた。
既に人の形をしただけの肉となった男がドサリと重い音を立てて後ろに倒れこみ、樹木にもたれて死んでいる女にぶつかる。男の肩が膝に当たり、若い女もつられるように横倒しになった。
「…つい先程ですね。可哀想に、こんな乳飲み子を残して…」
男の気を引く物音を立てるために握った石を捨て、横倒しになっても虚ろな瞳を開けたままの女の顔を一度手で覆って目を閉じさせてやりながら喩涼は言い、まだ硬直の始まっていないだらりと弛緩した体を抱き上げた。
既に人を葬るときの手順は皆心得ており、誰もなにも言わずに馬から下りる。それぞれ鎌か鍬を持ち、鎌を持ったものは遺体を埋める場所の草刈を、鍬を持ったものは野犬や熊などに掘り返されないようにと深く穴を掘るために鍬を振り上げだした。
草が刈られ、穴が掘られていくのを横目にしながら、昂天は腕に抱いた赤ん坊を見やった。
「まだ首もすわってないな…」
「一ヶ月やそこらだと思います。柚空様もちょうどこのくらいでしょう」
赤ん坊は二人分の血に塗れた襤褸切れに包まったまま、パチパチと大きな目で瞬きをしている。
母親は目の前で殺され、庇護してくれる人間を失ったものの、赤ん坊にそれが理解できるはずもない。
なにも知らない無邪気な様子で、先程まで得物の切っ先が向けられていた頬をゆがませて、赤ん坊は笑った。
一ヶ月ほどなら、まだ顔も見ていない末の兄弟、柚空とほぼ同じくらいだ。それなのに、腕に収まっているこの赤ん坊はすべてをなくしてしまった。
「どうしますか」
「…どうするもなにも…」
母親は死に、近隣には村もない。放っておけば一日ほどでこの赤ん坊は母親のいる場所に逝けるだろう。
しかし、小さいとはいえ、一人の人間の命。放って無碍に喪うのは忍びない。
きゃきゃと声をたてて笑う赤ん坊を見下ろし、父に指示を仰ぐことを決めた昂天は、また末兄弟の顔を拝むのが先になってしまうとため息を吐いた。
top : next
コメントを見たい方は下へどうぞ。
とうとう書いちゃった昂天×真那編です。
いままでで一番の年の差カッポーになりますな。